デモの効能
反原発デモが各地で繰り広げられています。社会学をきちんと学んでないので、正しいかわかりませんが、感想として。
戦術的にも戦略的にも様々な批判がなされていますが、少なくとも、意味がない、ということはないでしょう。とは言っても要求がプリミティブ過ぎてたぶん思う通りの結果にはたどり着けない。だから、成功までの道筋を考えている、目的意識がある人からみると無意味どころかマイナスでしょうね。逆に、推進派からみると暴徒化したり具体的な社会への不利益のある行動を起こしたりしてくれると世論が味方になってありがたいと思っているのではないか。
こういう、政治的決着を目的としないプリミティブな要求をするためにはそれに賛成する人が組織的に政体の転覆を図るしか果たし様がなくて、実際に果たして見たら実現不可能なことがわかって味方に刺されて絶望のなか死亡、というのが古典的SFのディストピア革命ものだったりしますよね。
そういう、要求が結果につながらない問題を慎重に吟味して行動を考える、と言うのがあるべき行動なんだろうけど、そうした時の問題が、日本にはこのような問題の受け皿になるまともな政治団体がないと言うことなんだろうと。デモに政治勢力が入るのを嫌がる人も多いですけど、まともに選挙につなげていける組織がない。昔であれば共産党や社会党がそれだったんだろうけど、すっかり力を失ってしまって残ったのはまともな国民の政治的要求をも犯罪まがいに変えてしまう過激派だけ。受け皿にはなりえない。
なのでデモ自体は秩序だっているけどその実要求は幼稚で受け入れ難い、味方には意味がなく敵にはほっとかれてその問題に危機感を持たない市民には反感を買われると言う三重苦デモの出来上がり。参加者の声をきくと、なんだか参加した満足感で充足しているようにも見えます。なんにも成し遂げてないからそれ。
でも、こう言うことが何もないってのはそれはそれで怖い。学生運動の記憶がそこから日本人を引かせてしまっただろうし、その点極左過激派の罪は重い。ということは、原発問題は正しいかどうかはともかくとして、それを乗り越えるだけのインパクトを持つ出来事だったわけだね。
この機運をうまくまとめて、デモが特別で、参加する人はアホか暇人と言うものではなく、政治の過ちを批判し、民主主義というのは無条件の全面委任ではないことを知らしめるものにすべきだよ。
そういう点では、デモのありようについて考える端緒になったと言うことは有意義かと思う。いつまでもあれでやってたら自己満足のおままごとだけどね。
きちんと政治につなげていける仕組みをなんとかできないものかな。