言葉の相互理解をするのが協働する際の常識

SIerなどに務めておりますと、企業合併に伴うシステム統合なんてのをやる機会がままあります。
文化も違えば、システム基盤も違って構築言語も違うようなシステムを統合するってのはまあ大変な作業で、そもそもシステムを統合する前に業務プロセスをちゃんと統合しなよと思うのですが、「いや、当初は並行稼動で」とお前ら俺を殺す気か的な話をされる場合も多いですよね。もっとも、業務プロセス統合をすると業務担当者も死ぬわけですが。

さて、企業システムというのは業務を遂行する仕掛けを機械に落とし込んでいるものですから、そこには多数の業務用語が存在します。これがまた、企業ごとに文化があって、同じ事を言うにもちょっと違う言葉を使っていたりして、更に悪い場合は部署ごとに違っていたりします。企業統合といかなくても、かつてシステムが部署ごとに違っていたものを統合するような仕事でも、この言葉の違いに悩まされることがありますね。

なので、システム統合の際に最も重要なのは、まず、同じ事を同じように表現するように言葉やプロセスのすり合わせを行うことです。A銀行とB銀行で融資を行う際のプロセスと取るエビデンス、実行の手続きから回収の手続きまで、ことごとく違った場合、どちらかに合わせるかいいとこ取りをするかを選ばなければなりませんし、結果としてできたものが今までと違うのであれば、その妥当性も検証しなければならない。

文化の違うものを統合するのはこのように大変なことではありますが、その反面、きちんと伝わる言葉に直すことができるいい機会でもあります。極端なものでいうと、統合を機に「顧客」が「お客様」に変わったりしますw

さてさて、本題。

言葉の問題はもっと大変だ。同じ日本語なのに意味がすれ違う。特に法律家の使う言葉は、特殊な意味が含まれている。弁護士が「事実」と言うとき、文脈で「主張事実」と「認定事実」という2種類の意味を使い分けている。「事実でしょ」「事実じゃないよ」「それなら何?」なんてことになる。よく似た感じで、「証拠」という言葉の使い方も頻繁にずれる。たぶん、科学者からしても法律家にうまく伝わらない言葉があるんだろう。知っているはずの日本語なのに、使う人で意味合いがずれてしまい、意思疎通したいのに、うまくいかない。

 法と科学、いずれか一方の土俵で相撲を取るなら話は楽だろう。でも、社会が直面している問題の多くは、法と科学の「協働」を必要としている。

弁護士と科学者は違う国の住人? - L&S

事実としてこういうことがあるよ、というのはとても良く分かる話です。が、問題は…

この記事は

法と科学の叡智が適切に融合した法的意思決定がなされることは、法的判断の影響を大きく受ける社会にとって大事なことです。本プロジェクトは法と科学技術の関与者が、法的意思決定をしなければいけない場面で、どうすればよりよくお互いを理解し、一緒に議論することができるのかを研究しています。

Law & Science

という主旨で設立された団体のメンバーが書いているんですよね。
こんなのを読むと、「お前ら中身の議論をする前に言葉の定義をすり合わせるべきじゃないの?」と思うわけです。科学者様や弁護士様から見ると賤業にも等しいSIerですら、文化の違うところで仕事をする際にはまず用語集(かっこよく言うとglossaryというやつですな。管理するための製品もありますよ?)を作るという原則が半ば常識であるのに、はるかに賢いであろう人間の英知を結集したような団体様がそれができないなんてことはにわかには信じがたいですよね。

この人達本当に相互理解なんてするつもりあんの?

まあ他にも色々ツッコミどころがありすぎて困っているわけですが。