結局、できるようになるやつしかできるようにならない

これってIT業界も全く同じじゃねえ?あるいは何故デカイ店のコックは育たないか:プロジェクトマジック:オルタナティブ・ブログ
この記事にうんうんそうだね、と頷いている人はIT業界では勝ち組の方だろう。もっとも、ウェブで情報収集をするような人でないと勝ち組の素養がない。必要条件と言えるかもしれないwww

冗談はさておき、ここで書かれている問題点は、正しく問題である。特に、ホスト中心の仕事をしている人であればここで言われている問題がもうどうしようもない問題であることはだいぶ前からわかっていたのではないかと思う。
そして、オープンの世界にも仮想化という津波がやってきた。

僕がこの仕事を始めたころは、サーバーの設定から何から何までやらされるような仕事が結構あったと思う。新人に毛が生えたような人間にそれをやらされるんだから思い切ったものだ。今に比べれば、しでかしてしまった時の責任も緩かったとは思う。
ただ、やっぱり問題は企業規模なのではなく、仕事にどう取り組むかの問題であり、くだらないルーチンワークというのはあくまで事務作業みたいなもので、自分を研鑽していくのは必ずしも仕事と直結したものではなかった。というか、仕事で学べるものは仕事でやったことだけである。でも、職場で学べるものは、実際にやったものだけではない。身も蓋もない言い方をすると、できるやつはどのようなところでもできることを見出すし、駄目だと思ったら場面を変えるだけのパワーがある。
そして、そうでない人たちを使って仕事をしていくのも会社の役割だ。
標準化=それしかできなくてもなんとかなる、というのは悲しいかな事実だったりする。しかし、標準化することができるのは標準を作れる人だけだ。だから、そういう職場で問題になるのは、標準化をすることができなくなった人がいなくなったとき、物事は完全に進歩から取り残されることだろう。でも、どんなに現場がそんなんであっても、育つ奴は勝手に育つ。育たない奴はどんなに理想的な現場にいても育たない。やらせたらできる層というのがどのくらいいるかわからないけど、ざっと眺めて見る限り、ある程度の経験不足は知恵と知識で完全に補える。知識を仕入れず、知恵も出さない奴はどんなにトレーニングして「全部できるように」なっても、他の「全部」にそれを適用できないから、結局のところやったことしかできないのと変わりない。linux商用UNIXになっただけで途方に暮れる人をエンジニアとは呼ばない。

IT企業のスキルというものは、昔ならいざしらず、今はそこにいて幾ばくかの仕事をこなすことで「手に職」レベルのものが身につくようなものではなくなっている。そんなんでできるのはせいぜい事務作業に毛が生えたようなもので、未経験であっても言われたことを少し考えて実行できる頭を持っていたらできるようなものだ。

最近思うのは「昔はこうじゃなかった」という話が実は「昔はできることが少なかった」だけの話なのでは、ということ。これだけ覚えてたらなんとかなる、の範囲が狭かった。ただ、それが全部だっただけで。今の全部とは範囲も違う。であるならば、そもそもいま全部をできることを求めるのは酷なのではないか。全部できる人間は勝手にできるようになっていく、もともとスーパーな人であり、そうじゃない人をうまく適材適所の狭い(と言っても昔に比べればカバー範囲が広い)場所のスペシャリストになってもらう。
これは大企業にとっては死活問題で、全体を見れる人の人数も、現場で専門力を発揮する人の人数も必要だということ。いや、大企業ならそれを実現することはそれほど難しくないだろう。であるならば、一番苦境に立たされているのは、ベンダーでもユーザーでもない、ある程度きちんと力を持ったSIerだ。そして、実際に仕事はあるけど人がいないという問題に直面しているのがこの層の会社。
逆に小さい会社であれば専門分野にリソースを集中することができるので生き残りの道は多いかもしれない。もっとも、廃れる技術に依存していると死んでしまう。

IT(特にSI)業界はもうちょっとエンジニアのキャリアについてきちんと整理しビジョンを示して行かないとどうしようもなさそう。