SIerから技術力を奪うのは誰か

超巨大プロジェクトが進行している。前プロジェクトからの次のステップとして。
「うまくいくと思う?」
「ダメじゃないかな?」
誰しもがそんな予感を感じているんだけど、別に止まる気配を感じるわけでもなく。
僕は顧客+顧客のシステム子会社(実質SIer)にぶら下がる協力会社(これもSIer)の立場であるから、主導権を握る場にはいない。けれども、システム子会社の人にシステム屋としての感性が全くないわけでもなく、一部の(これがごく一部であるから困ったことではあるが)超優秀な人が主導権を握ればうまくいくのではないかと思ったりもするのだけれども、それも立場上そうなることは困難である。結果として、顧客のシステム部門が推進して行かなければならないんだけど、ここはコンセプトベースの話はできるけれども実装技術を持たない人たちであるから、現実感覚がバラバラであって、かかる金と成果のバランスが全然わからない。結果として、無理難題が出てきて妥協案で作っていく、というのをずっと繰り返してきている。

いくらコンセプトで冒険をしたところで、実装で同じ事をやってしまえばなんの意味もない。システム部門は結果としてそういうチャレンジを潰し続けてきたし、システム子会社は子会社でそれを打ち破って新しい世界を作ろうぜ!という気概を持っていない。ベンダーは金を絞られる結果、斬新な提案ができない状態に追い込まれている。

一昔前は、フロンティアを開拓していく仕事だったから否応なしに新しい技術を取り入れて前に進んでいなかければならなかった。だから、客も、ベンダーも、みんな新しい技術を頑張って使うことに命をかけてきていた。今や、情報システムは企業の生命線であり、失敗は許されない世界になっている。それでもなお、新しい方向を向かないといずれ押しつぶされてしまうはずなんだけれども、その危機感について正しく向き合っている人がいないように思う。自分が負けないことに必死になるしか生き残るすべがないという状態になっている。

本来であれば、信頼出来る技術者がシステム部門〜BPを通して集まって、実装まで含めた部分で合意形成して、それに従わない奴は死だ!くらいの勢いでやらないと新しいものなんてできない。そうでないと、どんな理想をエライ人が描いたとしても、実装に落ちる過程でそれは歪められて、当り障りのない、責任を取らなくてよさそうなシステムになってしまう。新しいアーキテクチャを採用して成功した、という事実がきちんと評価されるならともかく、予算内で何とかできました、というのと評価が変わらず、失敗した時のリスクは同じだったら何を選ぶだろうか。チャレンジするだけの十分な動機も喚起されないし、責任が押し付けられることが目に見えているような環境で一体誰がSE魂を燃やせるというのか。

システムも巨大になれば金と政治に塗れる。技術力はなくなったのではなく、発揮できなくされている。多分、もっと自由に責任から解き放たれてみんなが前を向いて作れば、結果として良い物ができる可能性は上がる。少なくとも、今のまま進めていたらよいものができないことだけは確実だ。でも、今はそういう自由に物を作れる時代ではなくなっている。失敗のダメージが大きすぎる。

確かに、SIerにおいて真に技術力のある人は減ってきていると思う。が、いなくなったわけでなない。でも、そんな人達も政治に翻弄され、ただただ失敗を起こさないように息を潜める毎日だ。巨大プロジェクトが倒れるのはマネジメント力が不足していることだけが原因ではないと思う。本来発揮することを期待されている技術力が、意味を成さない様に封じ込められていることが大きいのではないか。ものづくりのマネジメント(システムはラインに乗った生産現場ではない)についてもう一度きちんと考えてみるべきだ、ということなのかもしれない。