朝マックにいったらカウンターにメニューがおいてあった

まあそうだよね。

マクドナルドなんて、今でこそファーストフードの代名詞だけど、子供の頃はちょっと変わったご馳走だった。今のモスポジション…いや、フレッシュネスくらいかしら。低価格路線に移行するのは店の数が増えてからだと思うけど、デフレの引き金を引いたのはマックと吉野家かもねと思うのだけどさ、まだ完全なる不況でなかった当時は客引き効果はあったんだろう。でも、不況は長引き、客はマックは安いもの、という印象を持つに至った。ホームメイドマック好きだったんだけどな。もうあのような商品はでてこないだろう。

メニューを置かなくするのは最適化、というアナウンスに対して、それは客ではなく店にとってのだろ、とつっこまれる。そりゃそうだよね。サービスの真髄は最適にはないと思うし。かくして、マックは「場」としての存在意義も捨ててしまうことになる。
実際に働いている人に聞いて見たいことがある。マックって、どんなに列が増えてて中の人が余っていても、簡単にカウンターを開けないよね。コンビニならすぐ対応する。後ろが足りなくなるなら仕方ないけど、余っていて、一つに四人くらい並んでいるだけだからちょっとの間開ければ済む話。でも開けない。これはマニュアルの問題なのかなあ。

マックは僕たちに何を提供したいと思っているのだろうか。正直なところ、僕はあの安っぽさがどうしても拭いきれないマックのメニューが嫌いではない。安いのに慣れちゃったら割高に思えるけど、コンビニで弁当買うよりは好きなんである。でも、マックがマックであることのアイデンティティを示してくれずに、業務の最適化ばかりを行うのが目に見えるのは悲しい。
居心地をよくしようと考えていること自体はわかるんだよ。でも、価格戦略とサービスがとてもチグハグで、二兎を追おうとしてどちらも見失っている。ほんとうに必要なのは最適化ではなく、遊びの部分なんじゃないか。そう思わずにはいられない。