鏡としてのイケダハヤト師

切込隊長のガチバトル(あるいはプロレス)の申し入れが順調に進んでいる昨今ですが、それに呼応したかのようにいろいろな人がイケダハヤト師の論評をし始めて相変わらず評判が悪いなあと思うんですが、それも彼の人の個性であり、何物にも代えがたい価値を持っているということがひしひしと感じられる昨今であります。

イケダハヤト氏のブログは全体的にものすごい拡大解釈が強い。わかってやっているのか全く自覚がないのか判断が難しいですが、極端に言えば単純バカのフルコースになっている。もちろん何に言及しようと彼の自由ですけれど、なぜか物言いが自分がさもその道であるかのような上から目線なのが何とも言えない。ネイティブに自己を拡大できる中二病的イノセントさを感じずにはいられない。それが彼の商品価値と言えば、そうなんだろうなぁ。

イケダハヤト氏の文章がなぜ不快なのかをまじめに考えた - GoTheDistance

何しろござ先輩までこんなことを言ってしまう始末。本来ならば歯牙にもかけない相手のはずなんだけど、言及せずにはいられない。こんなに人の神経を逆なでにする才能はめったにいませんよ!(いや、本当はたくさんいるんだけど、たいてい逆ギレして消え去ってしまうのがオチ)

でもちょっとまってほしい。なぜこんなに腹が立つのか、というのはこうやってブログで何かをモノしている人で自分の専門以外に足を突っ込んでしまっている人は常にやっている類のことなのです。ただし、普通は専門外について確信めいた物言いをするわけにもいかないので感想レベルの話や論理的なあるいは倫理的な誤謬の指摘をして終わりにするわけですね。
ところが、彼は違う。平気で拡大解釈して自分の言葉として「え?それ違うんじゃないの?」というようなことをぶち上げる。そこに痺れる憧れない。まさに「なぜか物言いが自分がさもその道であるかのような上から目線」ですよね。そういえばあったよね。「わたしもXXだと思っていたんですよ」ってやつ。それを2レベルくらい上回るアレ。

どうも、この心底から湧き上がる想いは嫉妬ですな。俺にはできないことを簡単にやってのける(ただし羨ましくない)という想い。そして、もう一つは自分の専門に近い話をされたときのこと。素人が口をだすのは仕方がないが上から目線でわかった口を利くのだけは許さん、という怒り。

普通は、ある程度トンチンカンなことをいう人でも「ああ、この勘違いとかこのロジックを直せばわかってもらえそう」という糸口みたいなものが見えるものなんですよ。でも、あまりに浅薄すぎるとそういう思いも沸かないし、なにしろ批判するとシャットアウトです。それでいて生活できるほどに影響力があるというのがその怒りを更に増幅するわけですね。言い方悪いけど、これって実はイケダハヤト師の話を肯定的に受け止めるバカに対する苛立ちでもあるんだろうと。ポジティブ教によるお馬鹿な思考の拡大再生産は反原発脳(まともなのもあるけどここではトンデモさんたち)と同様の臭気を感じるわけですね。

実際、彼の目の付け所は悪くないんです。運もあったと思うけどお金を稼ぐ才能も今のところある(今のところ、というのは全然セーフティーじゃないから)。だからこそ、彼の中途半端の化身みたいな物言いが余計に目立っているのだと思うわけですな。

はてなー諸氏はご存知かと思います(し、身を持って体験したことがある人も多いと思います)が、中途半端なエントリーほどほどよく燃え上がるものはないんですよね。極論だけど中途半端。これ最強。言いたいことをいうのではなく、アクセス数を集めるのが目的なら、常にそれを目指すのが楽ちんです。彼は中途半端の化身を辞めてしまうと空虚なものしか残らないことを自覚しているがゆえに、周囲の忠告に耳をかさないのかもしれませんね。

これはリアルバトルが楽しみ…というか本当に成立するのかねアレ。仮に成立したとしても、某ハウスインの人との対談みたいに隊長が一方的に分析からフォローまでしてのけるだけじゃないのかなあw