主語の広さについての一考

以下のエントリをダシに使わせて頂きます。内容そのものについて論評するつもりはありません。

主語デカ過ぎという指摘受けたが、そもそも批判先ブクマコメの「韓国人」の方が主語(対象)が大きすぎるし、タイトルはそれに対応した皮肉であることはあまり伝わらなかった。これは自分の伝えるスキルの問題なんだろう。

はてなブックマーカーは「なんでこんなにクソなんだろうな」 - yasugoro_2012's diary

何かを論考、特に批判する時に、主語の対象をきちんと限定することは議論を成立させるための第一歩ですよね。
最初の「韓国人」という主語の大きさは批判の対象としては正しくないだろうし、同様にいくら皮肉だといっても関係ない人を巻き込む主語を使った時点でその対象の相違に対する批判は避け得ない。

主語によって批判の範囲を限定することの意義は問題の焦点をはっきりさせるだけではなく、広くとった主語そのものには含まれるが批判の対象にならない人を巻き込まないという意志でもありますよね。「韓国人」って言っちゃう人は元々韓国人全体に対する悪意が合って主語をあえて広くしている、とも考えられますから、それに呼応して広い主語を使ってしまうことは、普段からその広い主語が指し示す範囲に対して悪意を持っている、という表明にどうしてもなってしまう。皮肉であることが伝わらないのが問題ではなく、結果として批判対象が変容していることが問題と思ったほうがよさそうですね。

とはいえ、ついつい批判の対象を適当に広げてしまうのはよくあることです。一歩間違えば差別に繋がる話ではありますが、主語を正確に絞るのって結構難しい。社会問題であればあるほど、「関係ある人」を想像してしまい、それを含むような言葉を使ってしまいがちですよね。

難しいのは例えば「日本は」といった時に「日本人は」なのか「特定の日本人は」なのか「特定の日本の地域は」なのか「日本政府は」なのかにわかに判断できないけれども文意は通じてしまうということですよね。広い主語をとるということは主語の範囲の判断を読んだ人に任せるということでもあります。そこで生じた誤解によって受ける批判は甘んじて受け入れるしかないということも考えておかなければならないですよね。

個人と組織、というのでも話は違います。例えば「これだから自民党は!」って言った場合に「自民党にだってまともな議員はいる!」という反応は一見主語の不備を突いているように見えますが、集団とその構成員を完全に同列のものとみなすことは難しいし、集団そのものの問題について一部構成員がその問題にコミットしていないことが免罪符には成り得ないですよね。

主語を選択するときはそういった部分まで踏まえてきちんと考えたほうが幸せになれそうですね。