実名を求める人が確認したいのはその人の実名ではない

当たり前のことを確認的に。
2013-07-02
ウェブ言論にとって名前は記号でしかなく、誰が言ったかではなく何を言ったかが重要、というのは正論だし僕もそう思っているんだけど、長い実名との戦いから得た教訓は「実名の必要性とは責任の持ち込み先の判別のために必要」というなんとも暗い話でありますな。
つまり、本名が「山田太郎」だったとして、ググると1,930,000件表示される「山田太郎」という記号に意味があるのではなく、どこそこにお住まいの、どこそこにお勤めの、今何歳の、等々の個人を特定する情報としての実名が欲しいわけですね。で、そんなもの何に使うのって話なんですけど、そりゃ社会的強弱を図るために決まっているじゃないですか。
もちろんね、匿名さんがある肩書きを名乗っている時に、その肩書を持った実在する人物であるかどうかを証明するためにはそういう行為も必要ですよね。もっとも、ある肩書きを持った人しか登録できないサイトでのHNはほぼその役目を果たしているわけですけど。
で、「実名とじゃないと議論できない」って言っている人は、相手の論の正しさをその立場で図ろうとしているということと僕は見なしています。

もう一つ、重要な点はあります。それは、実名が誹謗中傷をしないための抑止力になる可能性がそれなりにはあるということです。もちろん、実名でも暴言吐く人はたくさんいますし、暴言を吐いても社会的に影響が少ない立場の人はいます。それでも、匿名で好き勝手に言うよりは抑止される可能性があるのは確かです。でも僕は仮に実名でやったとしてもそのくらいは言うぜ的な話しか書いてない(もっとも仕事関係の話は抑止される可能性がありますが)し、相手の言っていることが正しいかどうかを認める基準が権威主義的な発想でどうすんのよって思いますけどね。

特にウェブを軸足として活動している人がそういうことを言うのはウェブという世界に対する矛盾的発想といってもいいんじゃないかって。ウェブの中で自由な物言いができるのはあなたが実名だからじゃなくてウェブだからなんですよ的な。だって現実出たら実名だから自由に言えるなんてわけなくて、「挨拶が足りない」で壇上にも立てないかもしれないわけですからね。実名だろうが匿名だろうが、おかしなことを言っていたら等しく批判されるからこそ、実名だろうが匿名だろうが、自由な物言いができることを逆に保証していると言っても良いでしょう。

根拠もなしに誹謗中傷するなら実名で覚悟決めてやれ、というのであれば分からないでもありません。それ実名で出来んのかよ?みたいな。でも批判するなら実名でやれとか正直わけわかりませんね。実名でやることに価値を見いだせない(匿名でやってもなんら価値が変わらない)行為にそういった属性を持ち出す時点で何かに負けてしまっているとしか僕は思いませんけどねー。