「自動運転を認めない」のはイノベーションを阻害する法律原理主義なんかじゃない

この話→警察庁と国交省が激怒!トヨタが首都高で“違法”自動運転を実演 | ビジネスジャーナル←を受け
こんな議論→佐々木俊尚さんのツイートまとめ/「法律原理主義」みたいなイデオロギーが蔓延するニッポン/警察庁と国交省が激怒!「トヨタが首都高で自動運転を実演」の是非について。 - Togetter←がされていたみたいなんだけどさ。

自動車には明確なレギュレーションがあるわけじゃないですか。運転している人の技術も含めて。それに明確に違反する行為がイノベーションのためという言い訳でなされて良いのであれば、自作の車検取ってない車だって走行可能なわけですよ。それと根本的な部分でどう違うのか。そりゃベースの車両は「人間が運転するという前提で」車検通ってるでしょうね。じゃあ、人間が運転しないことを前提にしたら認可されているのか。されてないよね(されてたらもう市販できる)。であるならば、実験という前提であっても、それなりの手続きを踏む必要が有るというのが交通の安全を保つ行政のお仕事なわけです。原理も糞もあるか。

当然だけど、世の中としては自動運転が可能になるようにすでに動き出している部分もある。それを無視するのがイノベーションってのはかの某ゆうせんを思い起こさせる話では有ります。

つまり、イノベーションのためなら何かは犠牲になってもいいという考え。そういうことができないから日本は取り残されるんだよってのはさ、極端に言うと戦争中だから人体実験してもいいよねっていう731部隊的メンタルと一緒だよ。ちょっと極端すぎるか。

仮に事故が起きちゃったとしたらどうするんだろうね、そういう風に考える人は。進歩のためには仕方がないって思うんだろうか。

でも、実際に規制がイノベーションを阻害しているのは確かなんだよね。そういう社会にしたのは「我々」だし、そういうのをぶち破っていかなければならないけれども、今回の件については警察は激怒すべきだし、トヨタはだって許可おりないんだもんって拗ねるべきだし、僕らはそういう日本の現状を嘆くべき。みんな正しい。

なんか起きるとすぐルールが悪いって話にしたがる人がいるけれども、ルールにはそれが決められた妥当な理由がたいていはある。ルールを悪者にするのではなく、ルールが古くてもすぐに変えられない日本の現状に怒るべき。

ルールを順守させるための行政のお仕事にクレームつけてもイノベーションが推進されるわけではないんだから不毛な議論は止めなよって思うね。