僕は人でなしなのかもしれない

猟を楽しむという感情が忌避される感覚がさっぱりわからない。釣りで獲物を手で嬉しそうにしているのとどう違うのかなあ…

私が狩りや解体などのいろんな場所で笑顔なのは、山菜を採る、魚を釣るのと同じように「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」であり、「動物を殺すことそのものや、動物を苦しめること」に快楽を感じているわけではありません。

猟師になりました。あと、炎上のこともちょこっと。 | ちはるの森

YOU狩りが楽しいって言っちゃいなYO!っていうもやもやを感じるんだよねこれも。

ことさらに命がどうとか言って非難している人がたくさんいるけど、楽しくなかったらやらないよこんなん。楽しいでしょ。

魚釣りと何が違うか。直感的な話をしますが。

狩りをする、動物を捌く、というのはたぶんね、同じ生き物としてのカテゴリーに対する暴力を想起させるんだろうね。魚や野菜がそうみなされないのはなぜか。形が違うからです。そんだけだと思うんだよね。獣は形が同じだから、それを狩り、捌く行為はそのまま人間に対する暴力に転化できるように見える。だから、その力を忌避するし、その行為を行うこと、好むことも忌避する。江戸時代まで獣の肉を食べることをしなかったこと、その後屠畜が賤業とみなされていたのもそういったことから目を背けることだったんじゃないかなあ。

魚ならいい、植物ならいい、仕事でやるならいい、全部言い訳だよね。命を奪うことには変わりない。

結局、「得体のしれないものへの恐怖」だし「その力が自分に振るわれることへの恐怖」だよなあと。ウサギは可愛いからダメとか言ってる同じ口が牛見て可愛いと言いながら食べてるんだよ。実感ないかもしれないけど。その実感をつきつけられるのが嫌なだけだよ。

感謝してます、敬虔な気持ちです、なんて牛肉食べるときに本気で考えている人はそんなにいないよね。そういう罪深さを認識したくないんだよ。

別に罪でもなんでもないけど。生きるために必要だからとか言うんだったら生きるために必要な行為意外は一切するなよって思うんですよ。幸いなのか、それとも不幸なことになのか、人間は考えることをできるようになってしまったんだから、せいぜいそこから何かを生み出すしかないじゃない。人生を楽しむとかさ。

動物を狩るという行為が趣味として妥当でないとしたら、そこに社会に与える大きな問題がある場合だよね。釣りもそうだけど。ハンターによって生物が狩り尽くされて生態系に影響が出るとか。

うーん、やっぱり狩りをして楽しいという感情を問題と思う気持ちが全然わからんです。