ビットコインの終焉と反社

これだけ一般に報道されるというのは始まりの終わりか終わりの始まりかのどちらかであることが相場ですが、ビットコインについては後者であると予言しておきたい。あくまで予言。すげー相場下がったら記念に欲しい。

自由、特に国家からの自由は保証の放棄と紙一重である。ウェブリベラルみたいな人は一様にそのような存在をもてはやす。そりゃウェブという存在がかつてはその象徴であったわけで、当然といえば当然なんだけど、統制と監視のないところにつきものなのが犯罪であり、反社会的存在であると言うことは楽天的に考えてはならない。
より自由だが、より不正がまかり通る世界が構築された時、自由にのみ目を向けていてはならない。校則から解放された大学デビューかよ、的な何か。
世界の政府と金融機関がかなりのコストをかけて反社会的勢力の財力を制限しようとしているところに現れたこの仕組みは結果としてアメリカの政府機関が発行額のかなりの割合を所持する(しかも押収という手段で)ことになった。しかしその後も相場は乱高下している。その取引を行っている中にビットコインそのものの価値を評価している人はどれだけいるのであろうか。

どんなに仕組みが優れていようとも、その目的が新たな秩序の構築ではなく、既存の秩序の破壊である限り、そこには反社が集い、人の理想を食い物にして肥え太る。