イケダハヤト師に非コミュの真髄を見た

切込隊長ことやまもといちろう師(そろそろこの言い方も2014年としてはまどろっこしいか)が指摘というより罵倒されている通りではありますが。
イケダハヤト師、ユニクロパステルチェックシャツの楠正憲さんに煽られる: やまもといちろうBLOG(ブログ)

言葉(特に単語)というのは少なくとも辞書的な意味は共有する、というのが前提でコミュニケーションをとるための道具ですよね。

「サードブロガー」みたいなのがオレオレ定義によって最初に言い出した人の定義と変わってきてしまうのは、辞書に載っていないからですね。なので今後新しい用語を提唱しようとする人はまずWikipediaに書くといいと思います(無理)。

冗談はさておき、明確に定義がなされている言葉を誤用した時に人がとるべき方針は、「ごめんごめん、俺意味(用法)間違ってた」が最適だと思うんですよね。それ以上の何を言っても「こいつは物を知らないバカの上に辞書も引けない」と受け取られてしまうだけです。俺の辞書はお前のと違うんだよ、という態度はコミュニケーション拒否ですよね。

僕も語感だけで覚えていた単語を無理やり使ったら感じが間違っていたという恥ずかしい思いをしたことは一度や二度ではありませんけどね、「お前の辞書ではそうなんだろうな、お前の辞書ではな」的な何かフラグが立ちそうな対応はしたことないなあ。

人間が間違いを犯すのはしかたがないことで、恥ずかしいことではないと思うんですが、それを変な形で糊塗しようと試みることは傍から見ていると非常に恥ずかしい行為に見えますよね。それでもなお自分の中でのプライドを保つためにそういった行為をするというのが非コミュの真髄なのではないかと思いました。