「たまたま大丈夫だった」経験により行為を安全とみなす思考は「ヤンキー的」なのか

田崎晴明さんが指摘する、原発・反原発の議論に潜むヤンキー思考 - Togetter
語感の話なので語感で話すと、ヤンキー的な思考って「ほら、オレはツイてるんだから大丈夫なんだよ」なんじゃないかなーと思いました。
もうちょっと説明すると、多少ヤバイ行為でも自分はそのヤバイのに当たらないだろうという発想。ポジティブな話なら逆。

刹那的な思考というよりは、特別感を元にした自分の例外化みたいなイメージが有りますね。

「ちょっとやばかったけど、まあこの程度ですんだじゃないか」

というのは似てるけどちょっと違うと思うのは、(ここで僕が再定義した)ヤンキー的な思考においては基本的にはヤバさについての評価は一切行わないんですよね。もっとも、そのヤンキー的思考というのがある種の見栄から出ている場合、行動の割合的には案外低リスクを選択していくことも多そうです。ただ、肝心なところで「男を見せる」的な意味でのリスク度外視を行いつつ結果の評価はしない。でももしかしたらそういう見栄を張り続ける為にやっぱり普段から自分の限界を見極めるようなヤンキー的思考もあるかもしれません。なんか定義できないなこれ…

で、「まあこの程度で」という発想は意図的にリスクを低く見積もっているという意味ではヤンキー的な思考/刹那的思考というよりもっとたちの悪いものだと思っているんですよね。喉元を過ぎて熱さを忘れてるんじゃなくて、熱さを感じる受容体が壊れているわけですな。経験によって得られたものをあえて無視している。端的にいうとバカなわけですよ。ヤンキー的と呼ぶとヤンキーに失礼な程度には。

いいんじゃないのこういうのは単に「バカ」で。