立場によって発言の自由は当然左右されるよね

百田さんの書いた小説は読んだこと無いし、それを元にした映画も見たことないんですが、映画を見た人の反応から伺うに、人間ドラマとしては悪くないものだったみたいですね。作家としては善と悪を超越したところに存在する人間の美しさを書くことがひとつの究極だと思うのですが、逆に言うとそこの善と悪を単純に持ち込んでしまうようなのはちょっと残念な感じで、そういう意味では過去の人間の生き様を承認するために歴史認識についてとやかくいう必要は本質的にはないというか、そこで正当化しないといけない理由があるのはある種の矮小化といえるのではないかと思う今日このごろです。

いずれにしても、作家としての本分というものは社会的価値観とは必ずしも一致しないというよりは一致しないほうが多いと思うので、作家という職業の人が政治的な立場での活動をすることはその作品を生み出す情念が多分に政治的なものであるという表明と見なされるのが一般的でしょう。プロレタリア文学とかね。

なので、政治的に中立を求められる立場に立った場合に作家として自由にものが言えなくなるというのは当然の帰結であり、それを嫌がるというのは政治的に中立を求められる立場の人間としては失格です。もっとも、政治的に中立を求められるどころか政治的に偏向させるべく送り込まれた人材であるという可能性はありますが、そうであれば尚更世間の批判を甘んじて受ける覚悟のもので発言すべきであって、本職が作家だからなんていう言い訳をするのは非常にカッコ悪いですよね。これが彼の限界点であるという事にもなります。発言は政治的だけどそれって情感から来るものでしかなくて、自分の幻想世界を事実として固着させるにはそういう歴史認識のほうが都合がいいというイメージレベル。政治じゃなくて政治ゴッコに近いように見えます。
もっとも、持っている立場が政治ゴッコなんてことでは許されない立場ですので、本当に政治的な向きから容赦無いツッコミが入りますよね。そういう状況ってヤバイと思うんですよ。
真の国士様は彼を黙らせるべきではないか。