日本は成功しすぎたために危機に晒されている

「国民総中流」が最も成功したのは日本だろう。特に規模的な面でみたら。結果として、国民の大部分に「守るべきもの」が出来てしまった。
「守るべきもの」は自由との相性が悪い。「ラディカルな自由」は犠牲を良としないけれども、「守るべきもの」はそれを要求することがある。圧倒的な経済力を元手に、個が優先されることを抑圧からの開放と捉えて自由を満喫した後、ふと気づくと経済力が失われていた。これはいかん、守るべきものを復活させ、個人の自由を制限せねばならぬ。さしあたっては国だ。国を守らねばならない事態が必要だ。幸い、内外に問題は沢山ある。
一方、堅実に暮らしてきた人々にも守らねばならないものはある。もはや中流なのであるから社会との闘争など出来ぬ。今の生活を支えることが使命なのである。どんなときも命は重く、代えがたい。生き抜くことだけが正義だ。

自由であるべき理由を見失ってしまえば自由を売り渡すことなど容易だ。

上辺だけの先進国は斯くして復活するだろう。もっとも、他の先進国が上辺だけではない、とも言えない。ただ、本質的な部分での建前を迷うことはあまりない。