公開される文章の想定読者と専門外への橋渡しについて

ウェブというのはそもそも何かの文章を公開するために生まれた存在ですけれども、全世界に公開されているからといってそれが想定読者を持たないなんてことは全然ありませんよね。とはいえ、全世界に公開されているという事実から生まれるコミュニケーションの齟齬は当然あるわけで、それをどうにかするという役割の人はいてもいいわけです。

本来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。 (田端良成)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/77391

例えば、こういう齟齬を…ってお前齟齬を解消する側の立場だろ!

いやね、個人的な知的遊戯に浸っている(遊戯だと耽るほうが適切な気がするけど)っていうことがないわけではないと思いますよ。でも専門用語を使うことが知的遊戯に浸ることかというと、ここで解説されている通り、想定読者には全然普通に読めるわけで、「個人の」知的遊戯じゃないんですよね。研究そのものが知的遊戯の側面を持っていることもあって、それが真の意味で「社会に役立つべきもの」なのかは明らかではないですけど、そもそも研究の本来って社会に役立つべきものなんですかねえ。そういう研究もあれば、そうでない研究もある。そうでないものも神の目から見ると社会の役に立っているのかもしれないですけど、それを言ったら新聞なんて「社会に役立つべきもの」と見做されているんじゃないでしょうかねえ。実際は「俺の主張したいことを世の中に広める」ためのものとして出発している気がしますが。

こういう問題が発生してしまうのは最初に述べたとおりで想定読者のアンマッチでしかないんですけれども、一方で社会的に関心が高まったものが想定読者外からアクセスされうるというのも事実であって、そこで発生する誤解をどう解消するかというのはウェブ時代の大事な視点です。専門家にわかるからいいんだよ、というのは世界を上手く閉じないと通用しない世の中ではあります。

その点ではフリーアクセスを制限するというのはひとつのソリューションではあります。ある種の情報は閲覧資格が必要とする。もっとも、それはだれでも見れるというウェブの利点からすると完全なる後退です。だれでも見れるからこそだれでも検証可能なわけではあります。それでも、変な誤解をされるデメリットを考えると検討には値しますよね。処方薬の説明書きなんて副作用だけ見て燃え上がっちゃう人いますからね。
そうすると、どうしても必要なのは、「優れた翻訳家」です。専門分野の話を一般読者を想定して噛み砕いて説明することにはかなりのニーズが有ると思います。これはITの世界でも例外ではなく、優秀な営業もできるエンジニアの仕事ってこれであるといっても過言ではないですね。そもそもウェブってソースを連結することについては元々それが用途なだけに優秀な機能を持っていますから、あとはそれをきちんと整理してアクセスしやすくなっていさえすれば問題ないわけです。

優秀な翻訳家を集積したサイトができればそれは知の一大リソースになり得ますよね。いろんな専門分野でのそういう人を集めた所があればなにか新しいことが出来るような気がしなくもありません。

あれ…新聞社ってそういうところじゃないんだっけ…あんな記事が書かれるようであれば可能性無いかww