家族より仕事が大事という瞬間はあるけど、「正しい価値観」対「正しい価値観」の争いは不毛だ

原則論と個別ケースを常に一致させてないと一貫性がないわけじゃないので難しいということもあるのかな。

仕事より家族を優先したほうが良いという価値観が「だいぶ」浸透している現代においても、もちろん、「今いなくなるわけには行かないんだよ!」って仕事はある。家族を優先し「なければならない」という価値観が強く押し付けられている部分を感じなくもない。

というような話をすると「家族を犠牲にしてまでやらなきゃいけない仕事ってなんなんだよwww」って言われることがあることに何か断絶を感じたりもする。犠牲ってのは大げさなことが多いし、当人が天秤にかけて選んだことをとやかくいうのは個々人の価値観や選択の自由に対する干渉ではないかと思ったりもする。大体、家族を優先した結果、相対的な不幸な境遇が待っていた場合にそれを強いる権利が他人にあるのかな、とも思う。

そういうベースラインがあった上で、仕事より家族を優先するという選択も当然のように認められるというのが正しい姿だよなと思うわけ。

なんでもそうだけど、ある(強制されることは間違っていると思われる)価値観を否定するために、別の価値観を押し付けることは「そうしたい」と思う人達を抑圧するし、それがモラルになるためにはよっぽど「社会全体の利益になるから受け入れることが自分のためになる」ことでないとならないんじゃないかな。

こうであらねばならぬという考え方は案外他人に対しては配慮がなく、自分に対しては最大限の配慮を求めるものだったりするんだよね。

でも、社会というのはこういうことの押し合いへし合いで価値観を積み上げていくものだから、問題が起きて、それが議論されることは健全ではあります。