文化って綺麗なものって前提があると思っている人結構いるよね

今は昔、カルチャーファーストなる団体があってな、…ってまだあるのか!

それさておきですよ、ポルノマンガを貶めたいがためにゴルゴ13を夢のある漫画と評価してしまうような議員がいるこの国において文化ってのはエゴの象徴でしか無い部分もかなりありますですね。いや、この国に限ったことではないよね。多くの古くからある建造物は奴隷制の産物だったりするし、搾取の象徴だったりするし、権力の誇示だったりするわけじゃないですか。文化を評価するときに倫理を先に持ってくるというのはあまり文化的な行為ではないんですよ。

アーティストがヤク中になったり、作家がアングラに突入して行ったり、生き物系文化が虐待を繰り返したりしているのは文化が狂気の産物であり、文化を尊重することは愚行と残酷さの肯定であるということは常に意識しなければならないし、それを否定するのであれば人は倫理のお化けでなければならないのです。もちろん、そこにみんなの大好きな「自由」はありませんよね。

もちろん、社会という場において、文化の狂気は倫理に薄められ、時として変質していくことは仕方がありません。ただそれはどんなささいな文化的行為に対しても適用されうる問題であり、原則適用除外を試みる必要はあるんだと思っています。

まとめよう、あつまろう - Togetter

こういうのは典型的な事例ではあります。「程度問題」という言葉が浮かび上がった瞬間、ある種の文化はジェノサイドの憂き目に合います。文明とは文化を倫理(倫理は必ずしも正義でもなければ残酷でもあるものですが)で塗りつぶすこと、と考えると文明人である我々はそれを甘んじて受入れざるを得ないし、そういった葛藤のもとで常に変容してゆくのがまた文化です。胸糞悪いこともあるかも知れないけれども、黒歴史と考えず、せめて記録だけは残していくというのが絶滅に手を下す人々の責務ではないかと思います。