ニセ科学批判と反原発はもちろん両立する

似非科学を批判して反原発派でいられるのか? - 非国民通信
別にね、「反原発業界」だけが反原発なわけじゃないし、反原発の運動をしているわけではないじゃないですか。反原発「派」なるものがごく限られた人々の特権的な立場である、であるわけもなし。その、科学的な見解を一切無視した反原発「派」なるものが反原発の主流であるということがこの問題を難しくしているように見えるけど、原発に反対する「ための見解」は必ずしも科学的知見に基づく必要はない。

もっとも、この話、反原発「派」にとっては「ニセ科学批判は敵」であることが自明なのかもしれない。何しろ科学的知見によって原発を批判する試みはたいていニセ科学とされてしまうように見えるからだ。そこにはひとつ矛盾があって、ニセ科学(あるいは誤った解釈)の知見を持ちだして「ほら問題あるじゃないか」と言うのは科学に信頼を置くという前提がないと本来は成立し得ない理屈だ。なのに、科学的方法による批判を退けようとする。なので、この話は「派」の人たちは「信じたいものを信じる」ってだけの話。なのでニセ科学批判を嫌がるんじゃなくて否定の全てを嫌がるだけ。もちろん、「派」の人たちの主張が多分におかしなロジックに基づいていることは多くて、ニセ科学批判による全否定を食らう結果になりがちではある。

大体、科学的知見による原発批判というのはわりと無理が多い部分もあるので、もうちょっとターゲットを絞って批判するべきなんじゃないかと思う。コストメリットとか、運用管理体制とか。僕は過激な反原発ではないけれども、ずさんな運用(現場には申し訳ないけど主に経営側の問題だわな)の実態が明らかになるにつれ、東京電力のもとで原発を運用するリスクは以前に考えていたよりもはるかに高いんじゃないかと感じているし、そういう意味で反原発はもう少し社会のあり方を考える方向で運動したほうが良いんじゃないかと思っている。科学ヘイト(しかし都合のいい知見には大賛成)という手法ではマジョリティーになりきることは難しいだろう。