価値観の多義性と命の軽さについて

なんつーか衝撃を受けたんだけど
【画像集】山手線 新宿駅南口 歩道橋の上に座り込む人 飛び降り自殺か? 火を付け焼身自殺 6月29日 - NAVER まとめ
この行為そのものについてじゃなくてその反応について。

「自殺するなんてサイテー」

とか。

すごい怖い。

そりゃね、自殺は良くないですよ命は大事ですよそれが近代国家のベースですよ。

でもね。それはすなわち「命を賭して何かを行う」事の価値が相対的に低下することを意味してしまっているのはなんでなんだろう。

よく、「自らを犠牲にしてまで皆を救ったことへの賞賛」が「そんなことより逃げるべきだった」という意見に塗りつぶされることがある。確かに過度な賞賛は命を犠牲にすることを強いるということへのカウンターとして必要だとは思う。でもこうやって個人の価値観というものは個人主義を装った全体主義に塗りつぶされていくのだろうかなんて感じてしまう。
これが行くところまで行ったら「自殺は問答無用で最低」なんてことになって都合が悪くなったら関係者が自殺してくれれば助かる人たちが色々と嬉しい社会の出来上がりとかになったりするのではなかろうか。

大事な命だからこそ、それを投げ打ってまで成されたことにちゃんと向き合わなければならないんじゃないか。もちろん、自殺によって何かを訴えかけるのはある種言論テロに近いものだとは思う。ただ、「自殺は良くない」という向き合い方はことの重大性から目をそらすための方便として機能しているとしか思えない。