主語がでかいってのはどこから来たのか

そりゃまあ主語がでかい言説が流行っているからですよねー、とは思うものの、昔から「我々は」みたいな言説はあったわけで、それをいちいち指摘するのが面倒くさくなっちゃったから一律まとめて主語がでかいって誰かが言い出して広まった、ということだと思うんだよね。

んでね、主語がでかいの初出がどこかってのははっきりわからんのですが、Google先生に聞いてみた感じでは、まず2008年6月の「さよなら絶望先生」の連載中に使われていたのが引っかかる。んで、その当時起きていた雷句誠事件の2chスレでも使われていた。2010年にはすでに増田で主語がでかいばかり言う事への批判が有り、今に至る、と。

それ以前にも使われていたのかもしれないけど僕わかんない。

http://anond.hatelabo.jp/20141006214523

ってのはまあそういう見方もあるよねーとは思うんだけど、そもそも「説が説として成り立ってねーぞ」という批判というのは何かを生み出すための作業ではなく、生み出されてはいけないものを闇に葬る作業でしか無いので何も生み出さないのはともかく、ゴミクズの意見ではなくて、そもそも意見ですら無いということなんだと思うんだぜ。