2015年問題と3年後のIT業界について

問題の本丸みたいなところにいるとひしひしと感じるいろんなこと。

とにかく人が足りない。いや、ぶっちゃけ人は足りてる。人材が足りない。半分はいない方がマシ。いなくてもアレやらコレやらがあればできるし品質は上がる。偉い人にはそれはわからない。なぜなら100点を目指しているから。95点を取ることは割と簡単なんだけど、100点を目指すと95点の10倍の労力が掛かった上に85点くらいにとどまってしまうリスクが物凄い高い。残り15点をどうするって?ひたすらやるだけさ。

人手不足というのは幻想なので、エンジニア不足の現状においてもクズエンジニアは雇わない。新人でもいいからかき集めろみたいな記事が出たことがあったけど、新人の方がまだクズでない可能性が高いというくらいは人材は不足している。クソみたいなエンジニアのおもりをしなければならないせいで。

問題は、システムの開発ヒエラルキー(これは単に契約関係でしか本来はないんだが何故か立場としての上下関係になってしまっている)とクズさ加減が一致していないことなので、ここで言うおもりというのはそういうことだ。何が悲しくて自分よりだいぶ給料が高いであろう無能の世話をしなければならないのか。2015年問題の本質はここにある(言い過ぎ

それもこれもリスクを過大に見積もる大企業病が原因。多分2年後くらいに「リスク多めに見積もっといてよかった」と感想を漏らすことだろうけれども、その良かった(すなわち悪いことが起きた)原因はリスクの過剰見積もりにあることに気づけないのでニセの一生成功体験に塗れて暮らすことになるのだろう。

そんな中で1エンジニアとしては早く巨大プロジェクトの終焉を迎えてほしいわーと思うわけだが、ことを会社としてどう生きるかまで広げると非常に厳しい。単純に考えるとクズエンジニアをクビにして事業量を下げるのが正解なんだろうけど、上場企業だとそうも行かないだろうなあと思い同情の念が湧いてくる非上場勤務。

本当のITの仕事はこの前にある、というのはわかっている。業務システムをIT化するなどという仕事はもはや陳腐の極みであって、いつまでたってもそれしか出来ないのであればこの仕事に従事する意味は工場労働者のそれと大して変わらない。いずれロボットに取って代わられる部分が多いという意味で。

いくらニーズが有るからといっても、所詮ドキュメント作成能力は僕らの本当の役割から考えたら「字が綺麗ですねー」程度の価値しかないはずなんである。もちろん、それは大事なことだけど、それ以外の部分がきちんとしていてはじめて武器として機能するはずなんだけどな。

COBOLは衰退する、ホストは衰退するって言われても結局まだ残っている。そもそも事の本質を見極められている人であればCOBOLERだろうがホストしか触ったことがなかろうが、転換は容易なんである。「XXしかできない」なんていう技術者が3年後には死滅し始めているだろう。エボラ出血熱によって人類が滅亡することが回避されているのであれば。