うん、まあ差別と区別は違うよね

そもそも、差別することと区別することは言葉づらは似ているんだけど、独立した事象だ、ということを最近思う。
だから、区別しているけど差別はしてないこともあれば、区別をした上で差別をしていることもあれば、区別とは全然関係ない概念の差別(まあ差別というか全方位への悪意撒き散らかしだなコレは)をしているということもあるんだなあと。

つまり、差別と区別は違う、これは区別だ、なんて言ったとしても差別と区別が違うから問題ない、なんてことにはならない。結局のところ差別か差別じゃないか、しかないんだよね。

これは「差別と区別は違う」がフレーズとして免罪を表現するのは無理だ、ということに過ぎない話であり、実際に何が差別であるかというのは客観的な判断はなかなか難しいものであるし、区別と位置づけているものを別の観点から見たらやっぱり差別だよね、とかそういう話にはどうしてもなるわけで。

ただ、物事において「違い」を認めることは重要なんだと思う。全てにおいて違いがないと仮定することによる平等は、結果論としては弱肉強食の掟にならざるをえないからね。違いによって何が生まれるか、それを社会全体でどう扱うか。