「正しい答え」が正しくないこととロジックの大事さについて

ググる先生が教えてくれるのは答えだけである、という僕の知っている真実については考慮不足のところがあった。もともとこの言葉は答えに至る思考であるとか、答えが答えである理由であるとか、そういった部分のほうが大事であることを戒める言葉であるけれども、答えは答えだけでは正しくないのみならず、問いかけに対する答えが正しくても目的に対しては正しくないことはあるのだ、ということがもっと大事だった。

ネットで薬の知識を頭に詰め込んで来院される患者さんには、この、『自分が知っていること』と『自分が知っていると思っていること』の区別がついていないタイプがかなりいるようにみえます。自分がネットで仕入れた知識をありがたがるあまり、どこまでネットに載っていなくて、どこまで自分が知らないのかには無自覚な人が大半ではないでしょうか。

ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマの屑籠

そうだよな。

知りたい、と思うことの範囲は何を目的にしてそれが知りたいかに左右される。そもそも目的自体が正しく設定できなかったり、目的に対する適切な問を発せない場合に知りうる答えは限定され、目的に到達しているのかどうかも判断できない。そして、専門家というのはそれができる人のことをいうのだと思う。
素人が専門家に多少なりとも近づくためには、まず専門家のロジックを知ることであるし、そこにある情報の取捨選択だけではなく、範囲を必要十分にすることだよなあ。
特定の事象について、専門家より詳しい素人というのは存在する。で、専門家に対して自分がより詳しいことをもって信頼に値しないと判断してしまうこともある。だが、大抵の場合はその専門家が知らない事象は取るに足らない事象であり、あるいは枝葉末節に過ぎ、その他の広範な知識と専門家としてのロジックに裏付けられた知恵にまさるものでは全くない。ましてや、その事象そのものがインチキであり、知る必要のないことが明確なものであった時、その事象に対する知識を持たないことがどれほど専門家の信頼度に関係するというのだろうか。

というようなことを考えると、ネットというのは賢者の天国、愚者の地獄なのかもしれない。