文系エンジニアなるもの

文系とか理系とか関係ねーよという基本的なスタンスの元、あえて文理の違いを述べると志向性とこれまでの学習内容の差異くらいのものかなーとは思う。よく論理的思考がーとか論文の書き方がーとか言われることがあるけど、確かに傾向的に理系の方がそれを必須とする割合が多いだろうという話であって、本来的には文理の決定的な違いではないんだよね。というか文系の人は論理学必修にしようよ…

業務系エンジニアとしてのこれまでの人生を振り返って考えると、スキルとして専門的な学習がアドバンテージになるのは業務系においては圧倒的に業務知識であるし、アカデミックな領域に近いもので言うと例えば金融工学みたいなものが殆どで、それ以外は文理に限らず社会に出てから身につけなければならない話であって文理よりは思考・学習能力の差が問題になる。

業務系以外のエンジニアについてはより数学的知識であるとか、センスであるとか、プログラミング(ソフトウェア)工学であるとかそういったものが必要となるだろうとは想像する。

「サービス」という切り口で考えた時に必要とされているエンジニア、あるいはプログラマーなるものの実態がなんなのか、ということはあまりきちんと語られていないような気もしている。何かを実現しようとするときに、それが実現できる能力を持ったエンジニアであるのかどうかというのは実に判別しづらい。何しろ実装上超えるべき壁があり、壁を超えるための武器が必要かどうかというのは壁が見える人にしかわからない。壁を超えられる人だけが実現できるサービスなのかそうでないのかで要求されるエンジニアのスペックは当然変わるわけだし、世の中の大宗の仕事は後者だったりする。

エンジニアの待遇が上がらないというぼやきは実際のところ壁の可視化が難しいという話なのだろう。金融工学の専門家なんてのはそれなりに待遇が高いが、それは専門家でなければ超えられない高い壁が可視化されているから。

プログラマーが無から有を作り出すような魔法を使っているというのは幻想であるし、プログラマーが作っているのは概念ではなく実装であるし、高いレベルの実装を求められるのか求められないのかというのは実現したい概念(あるいは要件)によって異なるし、そこを仕分けた結果、低レベルでも生きていけるマンが高レベルプログラマーと十把一絡げにされてしまうことは不幸なことではあるけど、世のプログラマーという職業はもはや作業員を意味してしまっている。

壁を可視化するというのは階層化をするということを意味しているけれども、きちんとした階層化がなされないことが上の階層の待遇を悪くしているのではないかという気もする。メジャーリーガーと1Aの選手が同じ年俸貰えるわけないし。