広まる「FinTech」は誰を儲けさせるのか

ベニスの商人を例に出すまでもなく、金貸しというのは因果な商売であり、「固い職業」とみなされる銀行員ですら金を貸してもらう側からすると悪の権化に近いものであり、半沢直樹を読むまでもなく職業としての誇りだけが原動力な人が集まっているというのは幻想なわけですが、そう言った「悪い人たちが作り上げたシステム」を民衆の手に戻す的なニュアンスが「FinTech」を語る人たちから醸しだされることがよくあるようにも見える昨今です。
当然なんですけど、世界を変えるボランティアとして清廉な人々が集まってサービスを提供する、というわけではないので、こういう考え方は色々な部分を見誤る原因になりえます。善悪という話は置いとくとして、効率的か否かという話をすると確かに既存のシステムの非効率性を改善していくための技術を応用していくものとしてFinTechを捉えていくといいのではないかと考えています。

という意味ではやっぱり「無料」「匿名」キーワードは地雷が隠れていると思わざるを得なくて、結局誰が何をどう収益化するのか、というところをきっちりウォッチしていないといかんのだろうな、と思うわけです。
BitCoin先行者利益&犯罪者ネットワークというところから始まって一通り成熟したところでなんとか社会の枠にはまるかどうかという所まで来ているようなもので、綱渡りを渡りきった感はあります(途中で何人か転落死しているけど…)。
決済サービス系のFinTechとデータ利用系のFinTechは根本的なカテゴリーが違うと思っているんですが、最近良く持ち上げられるのがMoneyFowardというところにこのワードの難しさがあるんだなあと思っていますが、ようやく最近ビットチェーンをシステムに応用するとかそういうのが本格的に見え始めたんだけど、これも本質的にはトランザクションシステムの形であって「Fin」の部分は本当に必要なの?と今のところ思っていたりもします。
融資系の話は難しくて、信用評価ってのはいかに幻想を打ち破るかという話だったりもするので、「行けそうに見える」だけの砂上の楼閣案件に素人が投資することを避け得るのか的な部分もあって結局リスクを広く薄く負担しましょうテクノロジーなだけなんじゃないかと思ったりもしますが、それで救われる人もいるんだろうな、というところが難しいわけで。
いずれにしても、サービスを考える側の人たちはともかくとして、利用する側の人たちは「信用とリスク」というのを自分で考えるか他人(主に金融機関や国)に委ねるのかという問題だ、という部分についてはよく考えて欲しいものです。