顧客が求めている過剰品質とは何か

そもそも品質の考え方は色々あるけれども、品質とコストがなぜ直結するかというと品質を担保するのは作業だからであり、作業であるならば作業の手間を徹底的に減らせば低コストで高品質を実現できるはずなんだけど、中々そうはならない。
と言うのは、作業の手間を減らすというのは手間を減らすというシステム設計にほかならず、その品質を担保するためには…という無限ループが待っているから。

これは別に手作業の場合はそういうループが起こらないってことじゃない。なぜなぜ分析とかやっていればわかると思うけど、何をどこまでやったらどうなるかということについての一般解なんてのは存在しないし、だからこそ統計的手法でやるしかないわけで、結局のところ、どうやったら精度を最大化してコストを最小化するかの特殊解を常に考え提示していくことがシステム屋の手腕なわけだ。

ここで問題になるのは、手腕というのはすなわち属人性のあるものだということ。

神林:あの、やっぱり過剰品質を求めているというよりは、何が本来品質として必要なのかというところがわかっていないと思うんですよ。だから、とりあえず、「とりあえず」っていう言い方に絶対なるんですけど、こいつとこいつとこいつは今まであったので、今度も作ってほしい、と。いるかどうかについては、俺はよくわからないし、もしかしたらいらないかもしれないけど、でも今までやっているから、これもつけといねっていうのが多いんですよね。

SIがハッピーになれない理由 (1/7):EnterpriseZine(エンタープライズジン)

で、これが過重労働の元になるってのも実はおかしい。見積もりが甘いだけ(後段でそういう話出てるけど)。これは発注側の見積もりの問題でもある。

ともあれ、精度に関して言うと本来のフェーズで求められていることに対して過剰になるというのはままある。それが過剰であるよねって指摘は普通は刺さらないんだけど、どうしても予算と見積が合わない時に限ってSIerの主張を聞いてくれたりする。ただし、SIerは開発に失敗し、予定より多くの障害を出して、結果として次から元サヤということも多い。
で、なんで過剰になるかって言うとそれはもう「言い訳」のためなんだよね。金融庁とか。ここではロジックが通用しない。「なんでやってないの?」
「と、統計的に見て云々」
「でもやってないから起きたんでしょ?」
「た、たまたまここが問題になっただけで…」
「でもやってたらわかったはずだよね?」
「…」
完璧なシステムは存在しないがUTは(詳細設計レベルの要件まで含めて)完璧にできるなんていうアホなことを考えている人もいる。UTでの障害発生数を「なんで基準値より少ねーんだよ」と言っている同じ口が言う。
でもここで求めていることは単なるポーズであり、ポーズのためにどんだけ投資してますよってことを可視化すると案外口をあんぐり開ける経営層はいるんだと思う。ポーズに投資するくらいなら障害時に土下座するぜってのが経営者として正しいんじゃないかって思ったりもする。まあ場合によるけど。
一つ確実に言える問題は、監督省庁が改善を求めるなら物量じゃなくてロジックにしろよって問題ね。エビデンスだとかチェックリストだとか言っている場合じゃないんだよ。口はさみたいなら専門家連れてこいよコノヤローってね。

最大の問題は、テストという「技術」を作業レベルのものだと軽視していることで、それはユーザーもSIerも一緒だったりはするってのが一番深い闇だと思うけど。