吹奏楽コンクールの意味

母校の高校の吹奏楽部の合宿に顔を出してきました。何年か前から、吹奏楽コンクールなるものに出場することになったんだけど、元々ろくに指導者もいず、自分達の力でステージを作り上げていくことに喜びを見出していた部活だったので、バックアップ体制が全然整っていない。コンクールは全員が乗れない(人数が決まっている)から、あぶれている人がいて、その人たちの面倒を見るひともいないし、そもそも二年生があぶれた(人数は結構ギリギリなので、年に1〜3人くらいしかあぶれない)ときの精神的ケアも上手く出来ていない。
いつも、何のために出場するのかいまいちわからない。
もちろん、甲子園とかだってそうだけど、全員が出れたり出れなかったりするのは仕方ない。自分達で出ることを選択しているわけだし、その点は構わないんだけど、ちょっとフォローが出来ないのは酷だよなって思う。
大学のバンドは、元々レギュラー制で、上手いものだけが常に表舞台に立つというバンドだったけど、それもはじめからそうだとわかってやっていたのでみんな必死に頑張ってた。高校の部活はちょっと違う。初心者大歓迎でも指導者いませんの状態で暑い夏をコンクールに賭ける、みたいな活動が上手く成り立つのか。
こういう流れに持っていった若いOBたちがちゃんとフォローしていって欲しいものです。

社会における欲望の影響

ふろむだ先生の大人気エントリをざっと斜め読みした雑感として。
本来生きるために必要なもの以上を望む人間の欲望が人間の社会をこうしている以上、引き返す道はないんだと思うんだけど、そうでもないと思っている人がいて、その人たちの最終的な世界観がわからん。
というより、まじめに世界を変えようと思っているのではなく、一つの理想的、だけど全てを実現することは非現実的な考え方を提示して、その考え方を、行動の規範にしようとしているのかな。それによって欲望全開の資本主義者に現実の世界で負けて、観念の世界では勝利することが美しい、みたいな。