システムにもPL法を適用すべき

かどうか、の議論になったら結構困っちゃう。プロとして、例えば銀行とかショッピングのサイトを作るときに負うべき責任を負っていない*1ようなシステム屋とそれを受け入れたり、余計な口出しで自らセキュリティーを落とすユーザーなんかには非常にいい話なのかもしれない。あるいは、安全策が過ぎて便利さの欠片も無いシステムに成り下がってしまうかも知れない。
形のある製品も、もちろん安全の為に本来実現したかったことを諦めたりしていると思う。じゃあシステムもかくあるべきか。
インターネット時代になってからは特に、責任は取らないけど使っていいよ。タダだし文句言うな的なサービスは多くなってきていると思うけど、よく槍玉にあがる2ちゃんねるをはじめとして、使用方法は利用者のモラルに任されている。一応、名目上、利用規約に反する云々ってのはよく言われるけど、よっぽど目に余るようなことが起きない限り、運営者が自ら動くことは少ない。報告によって動くことはまあまあある。
例えば、ハサミを売って、想定外の使い方をした場合に製造者に責任があるかというとそうでもない。通常の使い方をしている限りの安全性は保障しなければならないけれども。そんな話に準えると、開発者が「使い方はご自由にどうぞ」と言う場合、なにやっても安全で無いとまずいような気もするし、「これはこうして使うものです、それ以外の用途は何が起きても保証しません」というとその範囲に責任は留まるのか。そもそもの使い方自体が危険性を孕むものだったらどうするのか。
なんでもやっていい、の最たるものがインターネットの存在そのものであるならば、その上に乗っかるサービスの正当性はインターネットそのものに保証されているのだろうか。
その辺の根本的な話に疑問がありつつも、とりあえず一つのサービスの話にしてみると、「あーその使い方は(もとの発想に)なかった」的な繰り返しが新しいサービスや、次の発想を生んだりするので、明示的に用途が限定されてしまうのもなんだか悲しい話だし、かといって(社会的あるいは政治的に)悪い使い方が一般的になってしまうのはサービスの本意じゃないだろう。あるいは本音と建前なのかも知れないけれど。
はてなスターなんかは、批判に晒されつつスタートして、今では概ね好意的に受け止められているけど、ブクマへのスターはネガへのポジ反応は元へのネガ反応的な発想でポジティブフィードバック以外の使い方ができるようになった。これはシステムの欠陥であり敗北であるのか。僕はそうは思わないけどね。なんとなく、暗黙で存在した場のモラルが顕在化しつつあるように感じる。きっとそういうサービスなんだろうと思う。
利用者のアイディアによっていろんな様相を見せるような存在がシステムでありウェブ上のサービスなんだから、(法律が制定されるかどうかは別として)PL法的発想、あるいは想定外の使用方法をケアしていないことによって作成者を腐すのはあまり好ましくないかな、と思う。
その一方で、当然やるべきセキュリティー要件やシステムのルールから逸脱したような仕掛け*2を作ることはもっと責められるべきだと思うけれどもね。特にシステム基盤系の非機能要件についてはどんどんいい加減ではいけなくなってくると思う。社会がシステムに依存するようになればなるほど、ここの設計ミスは様々なところに波及するからね。

*1:これは責任を負えるだけの知識と技術がある人間がそのように待遇されない、つまり一級建築士みたいな明示的な待遇が無いことも原因の一端ではないかと思っているがそれを言い出したらシステムを作る人間が足りなくなる、または電脳土方が本当に土方レベルの作業者になる未来が提示される、か、世の中のプログラマーの7割は不要になる(適当な類推)。

*2:レスポンス問題のような