わからない人はわからないものなのだなあ

理解に努めると言うのは読み手に課せられた義務ではないかもしれない。でも感想以上の何かしらの反応を示すという能動的行為を行うのであれば、多少は考えなければ、自分が何に言及しているかすら不明瞭だと思う。そして、不明瞭であることを自覚していないから常に自分の正しさを補強するほうにのみ思考が向かってしまう。
相手の言うことがわからないと表明するのは、だからわりと怖い。理解力が不足しているのか、自分の正しさを確信しているのか、外野には判りづらい。もっとも後者の場合は相手の誤りの指摘も容易にできるけれど。そういう意味でのわからないはニュアンスが明確に違うから混同しないかも。これは書き方・レトリックの問題か。
賛同できないことを単にわからないと書くのは控えようと思った。