ウェブと社会的制裁

昨日のエントリのブクマコメントがちょっと気になったので。

ululun 社会的制裁という言葉に内包される「絶対的な正義」が嫌いだ

はてなブックマーク - それでも今のウェブが好きだ - novtan別館

絶対的な正義が社会的制裁に内包されているのであれば、現実の社会は絶対的な正義に満ち溢れてますよね。しかし、絶対的と言う価値観は所詮「誰かの」絶対的にしか過ぎないので、世の中釈然としないことが多いのでしょう。
度を越すとは、誰かの許容する限界を超えた、ということであって、その基準は常にまちまちであり、基準に抵触しないためには全力で空気を読む必要があるかもしれなくて、それでも相手によっては被害妄想的に度を越えたととらえられてしまうような事故がおきたり、と言う点において、ウェブも現実も変わらないと思うわけです。
一方で、ウェブは匿名の中傷とかで、その基準を越えて人にダメージを与えることができるように言われることもあります。それは一つの側面としてはあるけれども、逆に、ローカルな軽犯罪が全国区の社会的犯罪として扱われてしまうことだってある。従来の社会では武勇伝で済んでいたものが。
だから、ウェブと現実で、基準が変わったと言うよりは、適用範囲が変わったのだろうし、そのことがまだ浸透していない過渡期において、認識の相違による不幸と言うのはこれからもしばらく続くんではないかと。で、一般常識としてどこまで許容されるべき的な部分は、規範として生まれる(生まれつつある)のでしょう。もちろん、これは絶対的なものでも何でもなくて、ある人には許容範囲でもある人には許しがたい。それがきっと空気で、それを圧力と感じる向きはあるのかもしれないけれど、今までの実社会を支配してきた「世間体」と言う空気も、社会をある程度円滑に動かすためのツールだったわけ。
そのへんの基準は、これから積みあがってくる事例で構成されていくんでしょうね。