もっともオープンソース的なものはオープンソースソフトウェアの世界なんだから

ひがさんの思いはわかる。だってさ、まあ、一番オープンソース的…というのがそもそも適切な言葉なのかどうかも疑問だけど…な、まさにその代名詞の元であるオープンソースソフトウェアの世界が十分に日本でも機能しているんだよね。だから、そういう代名詞を使って日本はダメだみたいな言い方をするってのは元ネタであるところのコミュニティーに失礼と思っちゃったりはする。

仮に、水面下でいろいろやってたとしても、わずか三ヶ月でオープンソースの本質がつかめるとも思えないし、本質をつかんでいる人なら、「日本にオープンソースを育む土壌がない」なんて軽はずみなことはいわないだろう。

梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたい - yvsu pron. yas

本来の意味するところ、つまりもっともオープンソース的なところでは土壌があるわけだから、「ない」というのはおかしいよね。もっちーのオレオレ定義においては、ということであれば、紛らわしい言葉を使わなきゃよいんだ。
大体、プロプライエタリの対極としてのオープンソースという言葉がもっちーの言うとおりの「世の中をより良い方向に導くと思われるテーマがネット上で公開されると、そこに無数の知的資源が集結して課題を次々に克服していくといった可能性を含む、より広い応用範囲での思考や行動原理を意味」できるのかどうかもちょっと疑問ではある。なんか違う概念なんじゃないのこれ、と。いろんな人に指摘されてるけど、伽藍とバザールのバザールのことだよね。別に無数の知的資源が集結する必要も無いんだ、オープンソースにおいては。よりよい方向に導かなくたっていいんだよ。
一連のアレ、言及もしなかったけど、なんかさ、しきりにこちら側だこちら側だって言っていろいろ書いてた人が気がついたらあっち側でいじけてた、みたいな風に見えちゃうんだよなあ。
川の向こう岸から「日本のウェブは残念!残念!」とか叫ぶのはあんまり建設的じゃないから向こう側で「今の日本は残念!」とかいって選挙にでも出るといいと思うんだけど。