「参加感覚」と「発信する」ことの差異

ウェブで活動する、ということは原則的には全世界に「発信する」ことである、ということはなかなか認識されづらいようです。
電波メディアによる娯楽というのはその双方向性のなさから視聴者は観客席側にしか置かれない。視聴者が画面に映る機会というのはあるけれども、そのときには明確に「放送されるんだ」という意識を持っているだろうし、なおかつ、継続して登場することはない(あるとしたらすでにキャラクターとして放送側に取り込まれている)。その場合の視聴者というのは立場としては発信者側ではないですよね。いいともみたいな観客席にいろいろ振られる番組だって、集まっているのは視聴者の代表であり、そこに個々のパーソナリティーは要求されていません。番組作りには参加しているものの、決して発信者の立場になっているわけではない。

ところがウェブで何か発信することは自らのパーソナリティーを自らの責任で発信しているわけですから、立場としてはテレビ局と同じ様なものです。と、どうなるか。

僕の妻も Twitter を始め、フォロワーが100人を超えるぐらいにまでなってきたところでした。本人も「楽しさが分かってきた」ということで、順調に進んでいたのですが…… 今日の夜、脅迫状めいたDMを数通受信。不気味なので、アカウントごと削除するという結果になってしまいました。個人的には徹底抗戦したかったのですが、妻は非IT系の一般人で、僕のように短気でもないので「大事にしたくない」という結論に。

POLAR BEAR BLOG: 妻が Twitter 上で脅迫を受けて、アカウントを削除した件

このようなことが日常茶飯事になります。発信者側になるってのは面白いからやるって以上の覚悟が必要ですね。

ちょっと楽しみたいだけなのになんでそんな覚悟を強いられるの?みたいに思うかもしれないけど、じゃああなたは本当に「全世界に」何かを発信したいの?という疑問に答えられるかどうか。ウェブのサービスを使うというのはそのサービスがカバーしている範囲に発信してしまうということ。全世界に発信してストーカーが来るのが嫌ならmixiでボイス機能でも使っていればよろしい。

個人的には今回のようなことをした人間のクズを白日の下に引きずり出したい気分でいっぱいです。

POLAR BEAR BLOG: 妻が Twitter 上で脅迫を受けて、アカウントを削除した件

その気持ちはわからないでもないですが、怒っているのは行為に対してですか?それともそれによって奥さんがTwitterを使わなくなってしまったからですか?
後者だとしたら、そもそもTwitter(や、同じようなウェブ上のサービス)はそういうリスクがあって、そこを上手く回避する(絡まれても無視すればよいという状態に自分のアカウントなりを保つとか)ことが大事だ、ということを説明できていなかったせいかも知れませんよ。
ウェブは単なる無法地帯ではありませんが、現実が無法地帯でなくてもストーカーがいるのと同様に、困った人は存在します。どんなに技術が進歩しようとそれは変わらない(全てをトレースさせる監視社会がお望みであれば別です)のですから、そこでの生き方を学んでもらうべきなんではないでしょうか。