ソフトウェア、サービスと社会的責任

フリーソフトを公開して機能を変えたら社会的責任を問われたでござるの巻

@aki_null あのう、ご返事頂けませんか?多段RTができなくなって非常に困っております。どのようなTweetをするかはユーザーの自由に任せてもらえませんか?今まで普通にできていたことが突然できなくなるというのは非常にあまりに不便です。みんなやってる事なのに。

夜フクロウの件に関するさまざまな反応 - Togetter

最終的には作者さんが折れたみたいだけど、もともとあった機能を削除するに当たって、それが仕組み的に、あるいは道義的にどうか、という機能であった場合、ユーザーの意見より作者の意思が尊重されるべきだよね。これを機にソフトウェアを公開することに伴う社会的責任、なんて話が噴出し始めたけど、社会的な責任なんて、それに代替手段が無いほど社会的なものになって初めて問われるべきことなんじゃないかな。そこのハードルはものによって違って、今回のような、単に1サービスに対する数多のクライアントの中の一つでしかないものが、それだけの責任を問われてもねえ、と思ってしまいます。

Twitterなんて、そろそろある種のインフラになりつつあるけれども、Twitterが例えばそれを政治活動に使うことが妥当だ、と考えていなければ成りすましの問題は大きな問題とされないだろうし、考えていれば、インフラとしての方向転換を迫ることになるかもしれない。実名アカウントと匿名アカウントはアイコン等で厳密に区別されて、また、匿名による実名への批判は中傷の名の下に実質的に大幅に制限されるかもしれない。そのような変更に対して、「ぼくのかんがえるついったー」と違うからと言って変更を迫ることは出来るのか。いや、するかもしれないよね。かつて個人情報保護に伴い多くのウェブサービスが規約の変更を行ったときを思い出すと。
でもこういう文句は結局のところ、既存のユーザーが自分の思うとおりの使い方が出来なくなったことに対してクレームをつけているだけであり、社会的責任なんて派手な言葉を持ち出しているのは筋違い。むしろ、多段RTってよくないよね、という風潮を受けて、その機能を実装しておくことの社会的な影響が大きくなってくるだろうことを考えたからこそ考えた変更であるはず。真に社会的責任を考えているのは作者であり、ユーザー側がいっているのは「俺のわがままを聞け」以外の何物でもないことに気づくべきだ。