ゲーセンで見れた夢はどこに行ったのか

80〜90年代のゲーセン語りが流行っているらしいので便乗。
IDからも分かる通り、1975年生まれの僕は多分ゲーセンの黄金時代とともに成長し、その衰退を外側から眺めている世代。
幼少の頃は、ゲーセンなんて当然行けないんだけど、当時はおもちゃ屋の街頭にアップライト型の筐体が設置されていることが多くて、そこでいろいろなゲームを見たし、たまにやったりした。田舎のデパートのゲームコーナーで遊ばせてもらったり、スイミングスクールの上にあるボウリング場で休憩がてら眺めてみたり。
ファミコンが登場したのも小学生の頃だけど、ゲーセンのゲームへの憧れはずっとあったよね。なぜなら、すごくて綺麗だったから。今思うと、単にRGB接続であるから綺麗だったという部分もあるんだろうけれども、ことゲーセンのゲームにおいてはファミコン劣化コピーでしかなかった。そして、ファミコンで登場しないゲームへのあこがれも強かった。なぜあのゲームは移植されないのだろうか、ともやもやする日々。そういう意味でのトラウマゲームはギャプラスだな…
ファミコン登場後も、(自分が持っていなかったこともあって)アーケードゲームを観察する日々は続き、中学生になってゲーセンデビューしたときは、グラディウス?の黄金期は去り、SYSTEM IIがヌルヌル回転しててCPシステムが全盛期を迎えつつ有り(ファイナルファイト登場前夜だ)、スーパーリアル麻雀が天和でコインを飲み込むという横暴を行なっていた…
(大型筐体ブームも来ていたけど、50円ゲーセンではなかなかハードルが高かった)

僕は紛うことなき生粋のコナミファンで、MSXのゲームも含め、その音楽、その発想に思い入れがあって。グラディウス?には文句ばかりあるし、5〜6面で力尽きることばかりだったけど魅了されていたし、地味でお馬鹿なゲーム(パンクショット、エスケープキッズ、クライムファイターズあたりがお気に入り)がたくさんあって好きだった。でもシューティングでやりこんだのはサンダークロスだけだったような気もする。
一方、カプコンの横スクロールゲームは難易度が適度すぎてハマリにハマった。ファイナルファイトはちょっとむずかしかった気がするけど、
ウィロー・ナイトオブザラウンド・そしてD&Dこの辺りをなぜかやりこんでた。

バーチャレーシングも衝撃的だった。今見ると酷いもんだけど、登場後しばらくして、客寄せのために長い周回設定になったとき、タイヤマネジメントまで考えるというゲームになり、衝撃を受けたものだ。

ストリートファイター?の登場によって、ゲーセンの主流が格闘ゲームになった時、「あ、単価が上がった?」と思った。その後もほそぼそとゲーセンには行くものの、対戦ゲームの波には乗れず、次第に足が向かなくなってくる。

やがて音ゲーが登場し、DDR1.5時代に一瞬ランカーに名を連ねるのはまた別の話。

しかし、アーケードゲームって何が魅力的だったのか。そりゃ当時は当世最高のゲーム用ハードウェアを搭載していたわけだから、いろいろ最高だよね。端的に言って、あこがれがあった。基盤を所有している人は天上人みたいだったし、ネオジオはまさに100メガショックだった。50円が吸い込まれていく先に広がる夢は家庭では得られないもの。そう思っていられたあの時代。今や家庭用のハードウェアがアーケードを凌駕してしまった。もう二度と帰ってこないだろう。