STAP細胞にコレ以上金を費やす意味

なんかなー。ニセ科学に対する反証実験を科学の側がするまではニセ科学は科学だみたいに言われているように思えてしまってしんどい話に世の中がなっていくのはちょっとどうかねえ、ということで今回の件は利権ドロドロ愛憎ドロドロ劇の幕引きとしての全くの無駄金を誰かが使わせようとしている極めて政治的でアホらしい話と位置づけるべきではある。
でもこんなのに金を使うことを決めるのはステークホルダーに対する背任行為みたいなものではあるよね。逆にステークホルダーが特をするような問題だとしたらもっとたちが悪い。

STAP細胞にコレ以上金を使うことが批判されている理由を「論文が捏造だったから」と考えている人は多い。この考え方がガンで、つい「きちんとした実験をやって結果を出すべき」と捉えがちだ。でも、実際わかっていることは「STAP細胞は単なる妄想」であったということ。
もちろん、科学なんて妄想に近いところからスタートすることはたくさんある。で、研究者はそれが妄想であるかないかを証明するために血道を上げるわけである。しかしSTAP細胞の研究はきちんと成されず、妄想から一歩も進んでいない。もう十分に金を使ったにもかかわらずである。これがどういう損失かというと仮にSTAP細胞が存在したとしても当面の間そう思って金を使おうと考える人がいないだろう(し、大抵の場合それが妥当な結論である)ということだ。ん?ではSTAP細胞の研究を続けることに価値が有るのでは?少なくとも「何もわかってない」のであるから、と考える人もいるだろう。しかし、科学の研究なんてのは妄想よりは多少マシなものにリソースを振り分けるのが通常である。

なので、コレ以上は趣味の研究の領域である。個人的な(物好きな)金主によって継続されるのならともかく、独法である理研という組織が資金を費やす話ではない。もしかしたらはじめからそうだったのかもしれないけれども。

この研究が一時的にでも賞賛されたのは、常識に反していた「糸口」を諦めずに追求したからというストーリーだったんだけど、糸口があったのかも怪しい現在においては仮にSTAP細胞が存在したとしてもそれを見つける方法論はここにはないと結論付けられよう。