訴訟は医療過誤を防止しない

引き書きですが。アメリカの話ですが、医療訴訟をどんどんやるべき、となったら当然日本でも起こる話。

過誤の被害を受けた患者が訴訟を起こさなければ被害に対する救済を受けることができないという制度は,救済制度として機能していないだけでなく,医療過誤の防止という観点からも矛盾だらけの制度なのである。

医学書院/週刊医学界新聞 【〔連載〕続・アメリカ医療の光と影(5)(李啓充)】 (第2489号 2002年6月10日)

まあ、そういわれてもじゃあどうすれば、って話ではありますね。訴訟は予防のためにあるのではない、と言われるかもしれないけど、それなら良くある「真実を明らかにする訴訟」は意味が無いわけで、そのへん、手段と目的を取り違えてはいけないと言う話。多分。

極論を言えば言うほど当事者能力を失う

ここ最近の医療問題における議論の特徴は、医師の側の焦燥感と言うか絶望感と言うか、そういったものが前面に押し出されてきたことだと思います。このことが、議論にどういう影響を与えているかと言うと

  • 極論
  • 強烈な皮肉
  • 対抗相手の貶め
  • 詭弁による強弁

などなど。相手側の無理解に対する諦めによるものだと好意的に解釈しつつも、この言葉たちが一般の(つまり観客席の)人々に与える影響と言うのは、決して良いものではなく、むしろ、どっちもどっち。
こういった積み重ねによって現実論から観念論に乖離していき、結局のところ、身の無い空中戦を展開するに過ぎなくなってしまいます。あるいは制空権を確保したときに残るのは草一本生えない焦土ばかりかもしれません。少なくとも、極論を持って極論を制しに掛かったら、もはやその議論は終末で、どうにもならないのかもしれません。

血涙 / 北方謙三

以前読んだ楊家将の続編。前作に劣らず熱いんだけど、戦うことに理由がありすぎて、あるいは無さ過ぎて。少し蛇足感が漂うなんていったら怒られてしまいそうなんですが…
以前から少し思うのだけど、北方謙三の小説には「バカ」はいても「おバカ」はいない。そのことが、無駄に悲壮感を漂わせる原因なのかも知れません。もちろん、熱き男たちを描いているのだからそれでもよいのだけれど、生き様の息苦しさ、誰も彼もが追い詰められている感が、読んでいて登場人物たちに別の選択肢を選ばせたくなってしまうのかも知れません。
特に、話そのものを良く知らず、結末も知らない歴史ネタと来るとね。今作は特に、楊家と宿敵たちの戦いにクローズアップしすぎているからかも知れませんね。
血涙〈上〉―新楊家将血涙〈下〉―新楊家将

独白するユニバーサル逆メルカトル / 平山 夢明

独白するユニバーサル横メルカトル

独白するユニバーサル横メルカトル

タイトルからしてなんだこりゃって感じだし、表紙はおかしいし、ということで、本を開く前から異世界感に満ち溢れているのです。
表題作は道路地図が主人公(!)。持ち主の異常な行動と、その死により地図を引き継いだ息子を(別の意味で)更正させる話。無論主人公は地図なので無力ではあるのですが…
その他7編、グロありSFっぽいのあり、吉良吉影的(と言うか荒木飛呂彦的)な一編あり。グロ描写も決して即物的なものではなく…いや、むしろ即物的すぎてバックグラウンドに徹していると言うか…で、描写されることそのものが苦手じゃなければ、そのことにあてられることはありません。スプラッタ的カタルシスを求めるものではないので、そういう人には向かないか。
ジャンルとしては多分ホラーなんだけど、怖がらせたいと言うよりはアンチディズニーランド的な夢の世界を見せられている感じです。

読書記録8/27週

備忘的に。後で感想書くかも

愚行録

愚行録

最後の一球

最後の一球

おのれ筑前、我敗れたり

おのれ筑前、我敗れたり