初音ミクはAKBに奪われたのか

なんか騒動になっている。

結構昔から思うことがあるんだけど、例えば漫画がアニメ化されたり小説が映画化されたりした時に、脳内再生されていた声と異なることによる違和感みたいなものがあったりするよね?ね?

「それは俺のXXではない」

ここでは声を例にしたけど、キャラ造形とかも映像作品では異なったりすることによって原作レイプなんて言葉も生まれる。

で、初音ミク。実に曖昧なキャラクターであって、これ以上なく個人が思い思いに「俺のミク」をイメージできるわけだし、それが狙いでもあるんだと思う。でも、ネットで醸成された「初音ミクとはなんぞや」のイメージの共有はあって、それに対して生々しい肉体であるAKBがあてられることについての違和感があるのはまあわかる。いっそ着ぐるみだったらよかったのに。

アニメや漫画がミュージカルになりました、的な話も結構あるじゃない。そういう時って、そのアニメに抱く妄想に沿った形での配役がなされないとアレなんだろうけど、例えば腐女子向けのそれの配役にジャニーズが、みたいなのって実際どうなんだろうか。

ミクの場合はファンの妄想力によって作り上げられてきたキャラクターとも言えるから、その妄想に対して土足で踏み込んでくるような存在に対する恐怖みたいな反応なんだろうか。

結果として黒歴史になったほうがみんなほっとするんだろうなあ。もしこれでうまく言って既存のファンとは別の方向でブレイクしてしまったら、「僕達のミク」は奪われたと感じるファンは多いかもしれない。

☓結果的に隠蔽○隠蔽工作

また、9日行われた記者会見で、体罰があったのではないかと指摘されながら認めなかったことについて「これ以上、学校を混乱させたくないと思った。結果的に隠ぺいと見られてもしかたがない」と釈明しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130111/k10014729971000.html

これもよくある言い回しだけど、
「結果的に〜と見られても(思われても)仕方がない」
という日本語が成立するためには、
「そう見える要素はあるけど事実ではない」
という状況が必要。百歩譲って
「見解の相違である」
というのもありうるけど、大抵の場合、それを客観的に見ると事実の相違であったりする。例:愛のムチ
前半で「学校を混乱させたくないと思った(から嘘をついた)」といっているのであるから、結果的にも何も「隠蔽」そのものである。隠蔽かどうかについては議論の余地がないのに「見られても仕方がない」という言葉で暗に「隠蔽ではない」とその意図を否定しているということになるので、この日本語一文の中にも欺瞞が潜んでいるわけであり、教育者の立場の人がそういう態度である以上はこの問題がとても根深い日本の病巣の一つだということを示しているのではないか。