CMの鬱陶しさの原因はTV番組自体にあるのではないか?

CMを見て欲しいと悲鳴を上げている人達がいるようだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1749112.html
何人か指摘が上がっているけれども、最近のTV番組(つってもあんまり見てないから嘘言ってたらごめん)の特徴に、番組の後半になればなるほど過剰な引きでCMを入れまくる、という手法があるよね。最近って言ってももう長いけど。
で、お見逃しなく!と言いたいんだろうけれども、一番まずいのは、CM前とCM開けでおんなじ映像を垂れ流すこと。で、繰り返しの先にちょっと行くとまたCM。これをやっちゃうとさ、CM自体が「邪魔」度合いを増すんだよね。しかも、さっきと同じCMがまた!とかなるともう見る価値ゼロ。
他に選択肢がない場合にはこれも有効なのかもしれないけど、そうじゃないじゃん。どうせまた繰り返しでしょ〜って他のものを見始めて、気がついたら終わってた…まあいいか。みたいな。仮にちゃんとCM流れてたとしてもみんなの目線はスマホに行っているかもね。

「キュレーション」で喜んでるのって情弱なだけだよね!

タイトルは煽りですが。

1、キュレられる記事の大半を前日すでに目にしている
2、かなりの確率で自分のブログの記事が紛れ込む
3、あえて読まなくなったブログの記事が紛れ込む

http://d.hatena.ne.jp/the-world-is-yours/20130131/p1

情強が情強たる所以は、その自らの強力な収集能力かつフィルタリング機能にこそあって、それを他人にゆだねてしまう「キュレーション」なるサービスは自ら情弱だと告白するに等しい。

なんて言ってしまうと身も蓋もない。実際には、適切にフィルタリングできなくて嘘情報や愚にもつかない話を読まされてしまう自称情強の方が多いんだろうけど。自分がそうでないとは言い切れない。

まあ僕ははてブのお気に入りで情報量的にも問題ないことが多いから使ってないだけだけどw

その日に話題になる情報なんてのはよっぽどアンテナ低くない限り8割くらいは耳に入ってくるし、そこからフィルタリングをかけるのは自分自身の力で十分かな、とは思っている。
むしろ、キュレーションの価値っていうのは雑誌の編集みたいなもので、分析とか類似したものを分類とか、そういうところまでやってはじめて生まれるんじゃないかなあと思うのだよね。Gunosy自体はキュレーションって言葉を少なくともトップでは使ってないけれども、パーソナルマガジンとは言っている。雑誌というのは無編集なニュースの寄せ集めのことではあるまい。まだTogetterやNEVARまとめの方がキュレーションっていうのに当てはまっているような気がしなくもない。