管仲 / 宮城谷昌光

管仲 上 管仲 下
ちょっと中国の歴史に興味を持った人は大抵知っている春秋時代の名臣管仲三国志でも名前出るもんね。さてじゃあいつごろ何をした人というと「管鮑の交わり」の人でしょってなもんですね。
この時代の人は魯の国の歴史書「春秋」や漢の時代の歴史書史記」でのエピソードで垣間見られる話がほとんどで、つまり逸話はいっぱい伝わっているものの、伝記なんかはほとんどないわけです。管仲の有名なエピソードといえば、管鮑の交わりに見られる話です。
斉の国の公子に付くことになった管仲。親友の鮑叔は別の公子についていました。政変で次の君主の座を争ったときに管仲は相手の公子を矢で射て倒したと思い、意気揚々と公子に報告しますが、それが偽りで結果として鮑叔側の公子に出し抜かれてしまいます。当然、君主となったその公子(後の覇者、桓公)を一度は殺しかけたことになりますが、鮑叔の推薦により宰相になったという友情話。その親友とは昔一緒に商売をしたけど管仲が貧乏だったのでほとんど儲けを持って言ってしまっても鮑叔は文句を言わなかったとか、どっちかと言うと鮑叔の度量の広さを現すエピソードなんですけどね。
管仲自身の話としては、その後天下を運営するにいたった斉の桓公が脅迫されて領地を割譲する約束をさせられたとき、あとで取り消そうとした桓公を諌め、いわゆる損して得取れを徹底させた話が有名ですね。あとなんだろう。
きっと政治家として優秀だった(から後世に名が残ったのだろう)という人ですが、さて、その人生の全体像をどう書くか。
鮑叔との出会いと友情は著者の想像に過ぎませんが、さもありなんと思わせるのが小説家としての力量です。時代に対する造詣の深さが説得力を持たせているのでしょう。いつものように話は宰相になる過程がメインで、なってしまうとトーンダウンと言うか、エピソード紹介して終わりな感じですが、時代とそこでの人の生き様が見てきたかのように描写されています。
でも鮑叔の清々しい生き様のほうが目立っているような気が。二人が表裏一体で作り上げた作品が斉の桓公だとしたら、やっぱり主人公は二人なんですよね。