ググれなくなる日

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20203307,00.htm
かつて貧弱だった米Yahooのすがたを見たことがある人は今のインターネット人口を考えるともはやごく少数に違いない。当時Yahooは検索エンジンではなく、ディレクトリサービスに過ぎなかった。その後Altavistaが登場し、日本ではgooが登場し、収集robotが高度化されていくにつれ、S/N比が下がっていく始末。そのときYahooはあえて登録制を貫き、ある一定の質(もちろんNの部分もある)を保とうと努力していた。そんな時代もあった。
googleの登場は静かで、それほど認知されていたわけでもなかった。特に日本では。最近実施されたアンケートでも圧倒的にYahooが使用されていて、またgooはそれなりに広告して認知度を高めている(NTT系だからか)。無論、僕のように早速飛びついて常用している人もいるだろうけれども、もしかしたらgoogleは「ググる」が無かったらマイナーな検索エンジンとしての道をひた走っていたかもしれない。
googleが認知度を上げてきたことと無縁ではないだろうが、丁度いいタイミングでのblogの隆盛とアフィリエイトというお金儲けの手段、あるいは企業の広告戦略、マーケティングの1手法「検索サイトで〜を検索!」(個人的にはこれは害悪だと思うが)などでクローズアップされたSEOという言葉によって過度に意識される検索サイトとして完全に定着した。その一方で、いわゆるgoogle八分や検閲問題、著作権問題が次々に出てきたのは情報にたどり着く垣根を低くし、しかもその情報の真偽は問われないという自動収集型検索エンジンの特徴がマイナス方向に働いている部分があるということを象徴している。
いずれにせよ、検索サイトは使われることが生命線であるものの、どうやら極限近く(日本ではそうでもないが)認知度が高まった今となっては、Walkmanなどと同じように一般名詞化してしまうことを恐れるのは経営戦略的には必ずしも間違いではないだろう。
しかし、彼らは自分たちをgoogleであると強く思うのであれば、ググると言わせないなどと考えるべきではない。代名詞である名誉だけではなく、常に内容としてトップを走り続けなければ追い落とされるプレッシャーを感じるべきである。こんな話が出てくること自体が既に企業としての転換点を迎えてしまったことの現われに過ぎないのかもしれないが。アイディアがいつか枯渇し、企業として遺産を食い潰さなければならなくなったときにgoogleという商標がお金を生むのか、嘲笑の対象になるのか。
ググるとは(今は無き)googleで検索することを語源とする」と辞書に書かれない為にとるべき手段が言葉を抹殺することしかないであれば歴史にのみ名を残し辞書には名が残らないという結末が待っているかもしれない。もうつかわねーよと思わせてしまったときに魅力的な代替手段があれば。Yahooから検索エンジンのシェアを奪ったgoogleはよくご存知のことかと思いますが。
※全くの殴り書きであり、推敲されてないことを御承知置きください。