純粋な悪

いじめられた経験を持つ人は少なからずいると思う。僕もそのうちの一人だ。無論、いじめにもいろいろあり、レベルもある。相対的に見るといじめといえるのかどうか微妙なラインのものしか体験していないので多くは語れない。自分が受ける仕打ちは理不尽だとは思ったが、それ以上に相手をそういう行為に走らせた境遇に同情をしてしまっていた。そういう僕の気持ちが更に相手を傷つけていたのかもしれない。
性質が悪いのはそういう首謀者ではなく、取り巻きのただ面白がってやっている奴らで、首謀者が心の奥底で感じていたであろう相手に対する理不尽さはそこにはない。少なくともその行為は純粋な悪である。動機がない行為ほど罪深いものは無い。
深町秋生の新人日記 - いじめをいじめを読んで確かに報道の世間を誘導するような論調については問題があると思いはした。しかし、単なる懲らしめニュースと斬ってしまってよいものだろうか。純粋な悪に手を染めてしまった少年たちを放置してはならない。大人の手によって純粋な悪をなすポテンシャルを与えてしまったのだ。そのことを指摘していくのもマスコミの役目であろう*1
少なからず理不尽だということを理解してそれでもいじめていたのであれば、きっと結果を重く受け止めているであろう。その場合、彼らは十字架を背負って生きていく。しかし、悪を実行することのみを覚えてしまったのであれば、そこから引き戻すのは大人の義務である。大人の都合によって事実を隠蔽することがあってはならない。だから僕は真実が知りたい。例え彼らが傷つくことになっても、それはきっとこれから人として生きていくために必要なことであろう。

どうも挑発気味になってしまうが、いじめに簡単に憤る人を見ると、いつもこう言って茶化したくなる。「でもまあ、いつもあんたみたいなやつが一番先頭に立っていじめてくれたんだけどな」などと。

そういうレッテル貼りをすべきなのかどうか。憤ることと、結果的に別のいじめに加担することになるのは分けて考えたい。憤り、事実を知り、どうすればいいかを考える。必要なことであると思う。

*1:新聞などの思想が曲がっているとか取材がおざなりであるとか、そういった批判は当然あるにせよ、本来的に