問題の切り分けについてもういちど

いまさらだけど、煩悩是道場 - 「いじめた奴らを高く吊せ」という発想を持っていては、いじめは無くならないを読んで。
昨日のエントリにも書いたとおり*1、いじめの根本原因といじめという行為は切り離してそれぞれ対応しなければならないものである。これだけ報道されるからには「いじめは悪いものだ」と言うのが日本の社会の少なくとも建前上の共通認識であり、そうであるなら、社会的に未熟な存在である子供(これは未成熟な大人も含まれると思う)に「いじめが悪い」ということを繰り返し意識させる必要がある。行為に対する罰は一つの手段である。高く吊るすことでいじめがなくなるとは僕も思わない。しかし、いじめることに対するリスクがあることが少しは理解できるはずだ。逆に言うと「罰を与えられない行為」は「社会的にしてもよい」と認識される可能性がある。ただ、罰を与えるためには「罪」をはっきりと納得の行く形で提示しなければならないのだけれども。
一方で、根本原因はケースバイケースであり、特効薬はない。個々の事例について根治できる可能性はあるが、必ずしも上手くいくとは限らない。にもかかわらず、対症療法を行ったほうがよいと僕が考えているのは、それを行うことで、少なくとも症状が和らぐ(あるいはそれ以上悪化しない)可能性があるからだ。
この問題に関しては色々な人が分析を試み、解決策を提示しようとしていて、その中には(上記エントリも含め)納得がいく部分も多いのだけれども、それぞれ別の結論に到ることが多くてしかもそれぞれが対立することが多くて勿体無いと思う。

*1:そもそも昨日のエントリは、100%〜と言う思考停止キーワードに対する批判のつもりだったのだけれども、結局いじめに対しての話に終始してしまった。