ネット上の言説など全てネタ、というネタ

ネタネタじゃないもの(なんと言えば良いのか。本気?)の境目はどこなんだろう。本気でそれをそう思っているということが言説に必要なのであれば、僕のここでの書き込みはほとんどがネタだ。とはいえ、自分の中でもそのネタ度にはかなりの差がある。例えば、考えるくらいだったら騙される方がまし - novtan別館は明らかにネタ(意外とそう受け取ってもらえなかった単発のお客さんはいましたが)だ。一方で普段なんとなく思っていることを自分自身完全には賛成できないまでも、一つの文章としてまとめてみたものもたくさんある。本気でそう思って書いているものもある。
一つ一つにネタ度を書いていくつもりはないし、そもそもネタといっても考えのたたき台みたいな部分があって、書くことによって表出してきた何かを時間をかけて叩きなおす事で自分なりに思っていることが文章と言う形になっていくわけである。だからと言って、読んでくれる人に不誠実な形で応えることはしたくはないから、少なくとも一つ一つのエントリについて(明らかにネタであるいくつかを除いて)の批判や意見を日々参考にしつつ、自分が考えていることを展開していきたいなあ、と思っている。だから、他の人の反応をつり出すためにわざと穿って書いた罠エントリですら一般的な意味で言うところの「ネタでした」というものでは断じてない。
ネタでした、という言葉がそのネタによって生じた様々な事象の責任を放棄するために発せられるとしたら、それは卑怯だと思うし、そうでないのであれば収拾の仕方まで含めて考えてなくてはならないと思う。
と書きながら、果たして自分が思惑以上の騒動を巻き起こしてしまったとき「ネタでした」と言って問題を捨ててしまわないかと思うとしばし考え込んでしまう。仕事が忙しかったらあるいは逃げるかも知れないし、話のどうしても通じない人が一歩も引いてくれなかったらやっぱり逃げるかも知れない。
いずれにせよ、ある程度の裏の意図をもって書いたものであっても書いたことそのものについて引き起こされた反応は既にネタではなくなっている。本来ネタではなかったエントリそのものにとってはネタ宣言は死の宣告だ。自分の書いたものを裏切らないように心がけたいと思う。考えを変えるというのも単に前の考えを捨てることではなく、血肉として取り込んで新しい考えに昇華させると思いたいものだ。
何書いているのか分からなくなってきたのでこの辺で。