議論という土俵

土俵の上で試合をするためにはそれ相応の実力と資格が必要になります。しかし、ネット上での議論の土俵において、そのことが意識されないことによる悲劇が良く起こります。
横綱の仕事というのは稽古ならともかく、勝負の場で序二段をちぎっては投げ、ちぎっては投げすることではなく、幕内の格下の力士を堂々と寄り切ることであります。そもそも仕組み上それほどの格差がある者たちが戦い続けるようなことは出来てはいけないし、すべきことだと思う方がおかしい。弱いものをなぎ倒すのではなく、実力の拮抗するもの同士で戦い、勝ちあがっていくことで実力を表明するわけです。もっとも、はじめから横綱級の実力があってもいちばん最初は下から駆け上がるという行為をする必要がありますが。
さて、そもそも入門できない人たちがいます。草相撲は取ることが出来るものの、国技館の土俵に上がるのは許されない。しかし、ファンとして相撲にけちをつけることは非常に大切な活動であるといえます。このとき俺だったらこうするのに、というのは必ずしも「俺はそれだけの実力がある」という表明にはなりません。それは批評ですらなく単なる感想ですが、運営していくのに視聴者がいないと全く意味がありませんし。
ところで、ウェブでの「双方向」コミュニケーションとやらはこの「実力による序列を守らない」ことだ、と勘違いしている人が多数いて、横綱が観客席に来襲したり、序二段が大関にけりを入れるなどということは日常茶飯事で、いきおい、どこが土俵でどこが観客席なんだかわからない、という状態になってしまいます。
ちゃんと秩序を守ることを自らに課し、俺は今から土俵に上がるからね、同格の奴以外上がってこないでね、と言っても無駄なこともあるのです。無謀にも上がってきたら蹴散らすしかないし、自分が相手を間違っちゃったことに気付いたらひたすらひれ伏して格下であることを表明することになります。面倒な世界ですね。

じゃあ土俵に上がるための番付システムを構築する、行事を導入する、というあたりの話が必要になると思いますが、ここはやはり情報リテラシー認定制度によるレベル分けを行い、それによって上がれる土俵を決める、といったようなことが行われなければならないと思ったり思わなかったり。

さて、実力が無いけれど、横綱たちに上から目線で物申したいと言う人もいると思います。こっそり裏技を教えておきましょう。
総理大臣になって「感動した」といえば良いのです!