はてブをすることされること

とにかく書くことを目的として書いていると、本当に書きたいこと以外でも色々時事ネタとかを書いてみるわけです。最近は「これを書きたい」って思うことと使える時間がかみ合ってないのでなかなか書きたいものが書けないですね。
それはさておき。
なんかこう定期的にはてブのコメントがネガティブコメントでどうとかいう話題が出てきますよね。人格否定とか。確かにコメントとしてどうかと思うものもたくさんありますが、そもそも、そんなコメントで否定されたと考える人は、もし人格の全てを文章で表現しうるあるいは常に表現していると考えているのであれば、作家にでもなった方がよい。それはものすごい文章力と構成力が無いと実現できないもの。そうでないのであれば、相手が否定しているのは「その文章から伺えるだけの」人格の否定にしか過ぎず、僕はそれは場合によっては否定されても仕方が無いものだと思う。
僕が自分のエントリにネガティブコメントを付けられたとき、大体この順番に考える。

  • ああ、その考えは無かった。甘かった
  • ここを言い損ねるとそう読まれるんだ
  • うーん、文章がしっぱいだったかなあ
  • あー、内容が失敗だったなあ
  • そこは考えが違うのでかみ合いません。無視無視
  • 喧嘩売ってんのかゴルァ(ただし心の叫び
  • ちょっとおにーさんに詳しく話を聞かせてもらうかな。ヒクヒク(言及エントリ&相手のブログにトラバ
  • 名誉毀損だ!断固戦い抜く!(裁判

という感じなのでめったに否定的コメントが僕自身にネガティブフィードバックされることはありません。所詮書いたものの評価なんだから、どうしても譲れない一線についての見解の相違で無い限り、もっと読んで欲しい人がちゃんと意図を把握してくれるように文章を書ければいいと思っています。別に万人に評価されたいと思っているわけでもないしね。
まず自分が何を書き、それによって何を伝えたかったかと言うのをもう一度読み直してから、今のままで伝わると思ったらネガティブな意見なんて放置すればよいし、やっぱり伝わってないと思ったら追記するなり新しく何かを書くなりすればよいのですよ。
はてブなんて、使う側からしても単なるツール*1であるわけだし、ブクマされる側からしてもやっぱりツールなんですよ。対話をしなくても誰も気にしないでいてくれるコメントなんて相当貴重だと思いますよ。

*1:以上の価値があるとしても表面的には