いたちごっこ

僕は常々身勝手な人が増えたおかげでいろいろなモラル崩壊が起き、相互に支えあうことが目的である社会という枠組みが根底から崩れようとしているのではないかと思って色々書いています。完全に崩れたときに起こることは、大げさに言うと革命か、あるいは、他国からの侵略であるだろうし、それを望むわけでもありません。少なくとも日本の社会がもつ空気のいい部分についてはずっと残して行きたいですね。
ところで、医療問題についての議論も継続して追いかけているのですが、最近ちょっとこれはあまり一方的な見方をしたらいかんのかなあと思うところがあってちょっと書いてみようと思います。
2007-04-28
ここ数日で議論されているいくつかの点はいかに医師の負担を減らしつつ、診療を受けるべき患者を受け入れられない事態を発生させない、ということについてだと思うのですが、なぜ救急や時間外診療を行うかというと、過剰な心配や仕事上の都合、あるいは怠惰によるものがあって、その中ではかなりの数で身勝手な行動として定義付けられるものがあると考えていますし、実際の議論の場でも「時間外診療に過剰*1な支払い」を求めることで抑制された、との書き込みもありました。
しかし、近年の世の中を眺めていると、例えば子供を単なる風邪だと判断して、対処を誤って悪化させた、死亡させたと言うのが最悪「児童虐待行為」にあたるような風潮になりつつある気がしてなりません。なにしろ言い方は悪いですが、本来子供は死ぬものです。これだけの安逸な社会であっても先天的な病気持ちで無い子供が死亡する確率はそれなりにありますが、どうも世の中はそう見做していないように思います。豊かな社会は自然の理を拒絶し、あるいは逆らおうとするものである側面があります。これもその一環でしょうか。
とすると、親の社会に対する合理的な戦略としては、周りに迷惑が掛かって最終的に医療が崩壊することよりも、自分の子供が死ぬことによって自分が社会的に死ぬことを避ける方向になってもおかしくありません。なんせ医療が崩壊したら生き延びる確率は下がるかも知れないけれど、医者に見せなかったことについての親の責任を糾弾されることがなくなりますからね。
もちろん、世の親たちがみんなそんなことを思って子供を病院に連れて行くとは思っていませんが、社会の無言の圧力が強くなればなるほど、無意識的に選択される行動としてこういったケースが増えてくるんじゃないでしょうか。というか、もうそうなっているんでしょう。
本来トレードオフたるところを患者の側の経済性がある意味向上したせいで全てを求めることができるようになり、それが社会の空気として醸成されていった結果が今の状態であるとしたら、もちろん自業自得ではあると思います。が、さて、2〜30年前の医療の実態や白い巨塔的な部分をも視野に入れて、その発端を探し求めるとすると、果たして事ここに到った最大の要因は何であるのか。単純には結論付け難い話ではないかと思います。

*1:というとそうでも無いかと思うけれど相対的に