書くときに、一貫性を持つこと

自分の思考について、時系列的に一貫性を保つことは難しいかも知れない。過去の自分は今の自分でもなく、今の自分から未来の自分を想像することは簡単なことではない。自分が変わらないと言うことは、思考への情報のインプットと、その処理が止まってしまい、アウトプットしかできないただの記憶装置になってしまったということを意味するのではないかと思うから、変わること自体はあるべき姿だと思っている。だから、そういう意味での一貫性のなさは、むしろ誇るべきことだと思う。
しかし、今ここにある自分が一貫性を保っているかどうかは別の問題だ。
例えば、相手によって態度を変える。これは一貫性を保ってないと言えるか。そうは思わない。態度はあくまでアプローチに過ぎず、思考の根源とは全く次元の異なるものであるから、ある相手には諂い、ある相手には強くでて、ある相手は優しくする、と言うのは一貫性の無い行為ではない。思考の根源に「自分は常に同じ態度で他者と接するべき」とあるのであれば、例外を作ることは一貫性のなさに繋がる。しかし、そうでない限り、表面上の態度は思考そのものとは関係ない。
そういうやりかたで、自分の思考がぶれていないことを確認しながら、ぽつぽつとエントリを書いたり、ぽつぽつとブクマコメントをする。ブクマに必ずコメントをするのは一言居士を目指しているわけではなく、自分が感じたことに対して、一貫性を保てているかを確認する作業でもある。