はてブを読んだ人がエントリにどんな感想を抱くかなんてどうでもいい

ほんとどうでもいい。むしろ集客に感謝する。馬鹿とだけ書いてあったときに、それを読んだ人は「どう馬鹿なのか見に来る」か、あるいは人の言うことをすぐ信じて「見る価値が無いと判断する」か、どちらかだろう。間違いが指摘されているようでその実その指摘自体が間違いであった場合は反論しなければならないかと言うと、それを鵜呑みにする人のリテラシーなんて大して期待できないんだから無駄な労力の可能性がある。つまり、反論しても正確に読んでもらえることがあまり期待できない。自分の論に確かに反論の余地があり、それに対する再反論を提示できるのであれば、そのコメントは単なるきっかけとして、論を進めることができる。人に対しての反論をする必要は無い。
はてブコメンター(コメントをしないブックマーカーもいるのであえてコメンターと)自身、単に言い放っているだけのようで、実際にはわりと厳しい評価に晒されている。はてなダイアリーを使っている人はもちろん、そうで無い人もメタブクマ、メタメタブクマによって嘲笑され、あるいは否定され、あるいは評価されている。コメントを引用した記事によって評価の対象になることもある。100字を駆使する高木先生もいる。このようなことは、確かにある程度界隈でのやりとりを観察しないと見えてこないかもしれないから、敷居が高いのは事実。
僕のエントリについてのコメンターの人々の意見は僕にとって非常に貴重な意見であり、ついたブックマークの数は非常にありがたい集客源である。そして、そのブックマークたちを見て、僕のエントリをこれから見る人に与える先入観は避けられえないものだとしても、それを通して読んでもらえることそのものに感謝したい。もし、他のルートで僕のエントリを読み、そしてはてブのコメントにより印象や理解が左右されるのであれば、僕が何かを伝えようとしたことがうまくいっていなかったか、他人に過度に影響される読み手だったということだけの話だ。僕の主観で世界を統一しようなんて野望が無い限り、観点の違いやポリシーの違いにおいて意見を異にすること自体にはなんら痛痒を感じない。そこに理解の糸口が存在するのであれば、対話を試みるし、無いのであれば、僕は僕の主張を声高に叫ぶだけだ。
繰り返すけど、はてブのコメントを他の人がどう読むかなんて全く考えたことも無いし、考える必要も無いと思っている。コメント間で会話をしている部分を除いて、そのコメントは、僕か、またはコメンター自身に向けられたものであり、僕に向けられたメッセージは適切に処理したいと思う。同意を周囲に求めているコメントは、その行為によって自分の価値観が試されている、と言うことに気付いているのであれば、勝手にしてくれればよい。僕の関心は、エントリを読んだ人がどう判断するかということだけだ。気付いていないのであれば、存在として取るに足らない。