ウェブに求めることの差異

ちょっと前に、突然3つのエントリを書きました。多分、なんだかわからなかったと思います。

  1. 理論の世界〜反論は許さない!〜 - novtan別館
  2. 感情の発露〜同情しか認めない!〜 - novtan別館
  3. 武勇伝〜酔っ払って人を轢きかけたぜ!〜 - novtan別館

これらのエントリは、若干大げさに、ある人がウェブに求めること、あるいはどう利用しているかについて書いてみたものです。
ウェブ上で議論が巻き起こったり、あるいは誹謗中傷の話になったり、匿名顕名実名の話になったりするとき、しばしば特定の利用形態の観点のみで語られることがあります。そして、その観点にマッチしないからダメだと結論付けられます。でも、「ウェブとはこれこれをするところである」「ウェブではこれこれはしてはいけない」と言うルールがない、あるいは一般常識に照らしてこれは的なルールしかない*1以上は、そういった見方で物事を考えるのは、机上の空論でしかなくなってしまいます。
SNSなんかが流行ったのは、ウェブに求めることを空間的に切り分けることがある程度可能であるというのが大きいと思います。例えば上記の1,2と3の切り分けは比較的容易で、それが炎上しちゃったりするのは個人が持つ脆弱性が原因に過ぎません。が、1と2を切り分けるのは実に難しい。あ、上記の1は極端な一例であって、つまりロジカルなことだけを話しましょうっていう空間の事ね。それと感情のことを話したい空間。2の例において、僕の脳内物語の主人公は、他者にその感情のロジカルな分析を求めているわけではないのです。
究極的には、「ここではこの話しかしてはなりません」的なマーキングをしつつ、空間を切り分けていくしかないのだろうけれども、人間の思考をそういう風にスライスして住みわけても大して面白いことにはならないはず。だから、空間としては混在させつつ、それぞれの議論の部分をうまく抽出していく仕掛けがWeb3.0的な世界なのかも知れないですね。今のウェブはみんなで必死にタグ付けとサンプリングをしているんじゃないかな。そこで得られたデータと、何かの新しい仕組みが結びついたときに、次のステップに進むんじゃないかと思っています。

*1:例えば、どこの線を越えたら誹謗中傷か、と言うのは客観的に判断しづらいから明確な規定はできず、ケースバイケースにならざるを得ない